源義経 母は美女だけどイケメンじゃなかった?悲しき戦の天才の人生 楽しい日本史 -偉人編- 09

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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも登場。日本初の幕府である鎌倉幕府を開いた源頼朝の12才下の弟 源義経についての以下のような疑問について学習する記事。

  • 源義経は何をした人?
  • 源義経はどんな人?
  • 兄 源頼朝との関係は?
  • 源義経に残されている逸話は?
  • 源義経はイケメンなのか?

源義経の情報

時代平安~鎌倉時代
身分武将
出身地京都
別名牛若丸、遮那王
生没年1159年頃~1189年

時代背景

時代背景は源頼朝の記事を参考に。

源義経のすごさ

母の美貌で助かって寺へ

父の義朝が殺されたのち、源義経は母の常盤御前や弟たちとともに捕まっていた。本来であれば殺されるはずだったが、類まれな美貌を持つ常盤御前が平清盛に見初められたことによって、見逃されることになる。常盤御前の息子であった今若(いまわか)、乙若(おとわか)、そして牛若こと源義経を見逃す代わりに、常盤御前は平清盛の妾になるという密約を交わしたそう。それだけではなく、3人が将来武士となって復讐することを防ぐために、3人の息子を出家させることも条件だった。平清盛の温情といえるのかどうか。

寺から武士へ

源義経は7歳(11歳説あり)の時に京都にある鞍馬寺(くらまでら)に預けられた。このとき自らを、仏教で太陽を意味する「遮那王(しゃなおう)」と名乗っていたといわれている。源義経は学問僧として期待され、勉学に勤しんでいた。一方で性格はトラウマを持つ頼朝とは違い、義経は単純明快な体育会系だったようで16才の時、自分が源義朝の末っ子だと知ると、坊さんなんてやってられない。と僧になることを拒否し、自らの手で元服(げんぷく)する。義経が急いで元服をした理由は、稚児姿のままだと平家の追手に見つかりやすいため、元服によって大人の格好に変える必要があったため。

藤原秀衡との出会い

その後、各地を放浪していた義経は、奥州と京都を往来していた黄金商人(こがねあきんど)の金売吉次(かねうりきちじ)と出会い、金売吉次から陸奥の話を聞き、興味を示した。「陸奥」とは 現在の青森・岩手・宮城・福島の各県と秋田県の一部で、その陸奥には郎党(武家の家来)が18万騎もいると聞き、源義経は奥州平泉に向かう。奥州平泉(現在の岩手県)を目指す途中、平泉を拠点として陸奥国一帯を支配した豪族であり、奥州藤原氏の3代目当主で奥州藤原氏の全盛期を築いた藤原秀衡(ふじわらのひでひら)と出会う。その藤原秀衡は義経を平泉に匿い、養育し、武芸を教えた。

天才的な戦センス

戦い方や戦の方法を天狗に教わったという伝説が残っているほどに戦の天才だった。打倒平氏を目指す頼朝に合流してからは、兄に褒められたい一心で戦で大活躍する。一の谷の戦いでは馬に乗ったまま断崖絶壁から駆け下りて奇襲をかける「鵯越の逆落とし(ひよどりごえのさかおとし)」と呼ばれる作戦を決行し、断崖絶壁から攻め込まれるとは思っていなかった平家軍は混乱し、兵力で劣っていたにも関わらず源氏が勝利した。それまでは無名だった源義経の名が世に轟くことになった。つづけて屋島の戦いの奇襲作戦も成功させる。暴風雨のなかで、3日かかる道のりを船で4時間で渡り、突然の襲撃に平家軍は再び混乱に陥り勝利する。そして、壇ノ浦の戦いでは8艘の船を次々と飛び移って平氏を混乱させ、源氏を圧勝に導いたと言われている。

義経の逸話があるほど天才的だった。

五条大橋の決闘

平清盛が「平家でないものは人ではない」という言葉を残すほど、平家の人間は思い上がっていた時代に、乱暴者で狼藉を働いていた弁慶はこれを気に入らず、平家の侍に次々に襲いかかり、刀を奪い取って1,000本の刀を集めることを目標にしていた。弁慶は999本の刀を集め、1,000本目の刀を目前にしたとき、五条大橋で笛を吹きながら現れた牛若丸(源義経)に出会う。弁慶は牛若丸を平家の侍だと勘違いして決闘を申し込んだ。弁慶は牛若丸の細身で華奢な女性のような体つきを見て、容易に刀を奪えると考えていたが、牛若丸は華麗に攻撃をかわし、弁慶を返り討ちにした。

武蔵坊弁慶

五条大橋の決闘を終え、牛若丸は弁慶に対し、自身が平家に殺された源氏のトップである源義朝の息子であると語った。これを聞いた弁慶は、牛若丸の華麗な剣術さばきと高貴な血統に惹かれ、家来にしてほしいと頼み込んだ。その後弁慶は家来として、義経が藤原秀衡の息子・藤原泰衡(ふじわらのやすひら)に攻撃された際、たくさんの矢から義経を守り、矢が体にいっぱい刺さりながら倒れずに立ったまま死んだという弁慶の立ち往生伝説がある。

源義経ってじつは・・・

頼朝から敵視される

頼朝のために戦で活躍した義経だが、仲間から手柄を独り占めしようとしているとチクられたり、頼朝がけむたがっている後白河法皇に気に入られたりした結果、頼朝から敵視されるようになる。頼朝に追いつめられた義経は、自害することになりわずか31才で生涯を終えてしまう。

イケメンじゃない説

義経は、その悲劇性とイケメン頼朝の弟ということで、ドラマや漫画でも薄幸の美少年として描かれているが、『平家物語』には、義経はちびで出っ歯。そのため遠くにいても義経だとすぐわかる。と書かれている。遠くからわかる出っ歯というのは凄まじい。残念ながら『平家物語』は義経の死後まもなく書かれたものなので、真実っぽい。

あとがき


偉人に興味を持ち、その人物軸で時代背景や文化、歴史についても興味が持てればもっと楽しく学べると思う。

源氏と平氏の起源と武士文化のはじまりについての記事はこちら。

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のぼりつめる平清盛と平氏の政権についてはこちらの記事。

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ではまた、ごきげんよう。

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