大天狗 後白河上皇に翻弄された源平合戦 楽しい日本史 -武士による支配- 12.

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大天狗とよばれる後白河上皇に翻弄され、平家は滅び、源氏は仲たがいが起きる。
後白河上皇が平氏を揺さぶり、今度は源氏を揺さぶるという大天狗ぶりを発揮するというなんとも曲者の存在が歴史ドラマが生まれていたのを知らずに歴史の授業を受けていたので、当時の自分にも教えたい。

ポイント

  • 源頼朝はなぜ挙兵したのか
  • 源氏と平家のたたかいとは
  • 源義経や木曾義仲の活躍

年表

いつできごと
1180年源頼朝、平家を倒すため挙兵する
1181年平清盛が亡くなる。養和の大飢饉が起こる
1183年木曽義仲入京。平家は安徳天皇と三種の神器を持って都落ち
1184年木曽義仲、粟津の戦いで討ち死にする
1185年源義経ら、壇ノ浦の戦いなどで勝利。平家が滅亡する
1189年義経、頼朝に討たれる。奥州が頼朝に平定される
1192年源頼朝、征夷大将軍となり、名実ともに鎌倉幕府が開かれる

おもな登場人物

平家打倒の呼びかけ

後白河上皇の皇子・以仁王が平家打倒を諸国の武士に呼びかけると、源頼朝や木曽義仲らが挙兵し、5年に及ぶ源平合戦がはじまった。

源氏と平氏の戦い

①以仁王・源頼政挙兵(1180年5月)以仁王・源義政 VS 平清盛

平清盛によって後白河上皇が幽閉された翌年、皇子の以仁王が平家打倒を諸国の武士に呼びかけ、源の義政とともに挙兵するが、敗れる。

②石橋山の戦い(1180年8月)大庭景親 VS 源頼朝

源氏のリーダー・源義朝の嫡男の源頼朝が、配流先の伊豆で挙兵。しかし石橋山の戦いで、平家方の大場景親に敗北。

③富士川の戦い(1180年10月)平維盛 VS 源頼朝

頼朝と平維盛らが富士川をはさんでにらみ合う。だが、平家軍は、水鳥の羽音を敵の襲来と勘違いして敗走。

④俱利伽羅峠の戦い(1183年5月)平維盛 VS 木曽義仲・巴御前

頼朝のいとこ・木曽義仲が挙兵。約10万の平維盛軍を、松明を付けた牛を放って撃退。女武者の巴御前も大将として活躍した。

⑤一ノ谷の戦い(1184年2月)平家 VS 源義経・武蔵坊弁慶

平家本陣を、源頼朝の弟・源義経が武蔵坊弁慶らと急襲。断崖絶壁を馬で駆け降りて攻めた鵯越の逆落としが有名。

⑥屋島の戦い(1185年2月)平家 VS 源義経・那須与一

義経は嵐の海を越えて上陸、背後から平家軍を急襲し勝利した。那須与一が海上の扇の的を見事に射抜いたことでも有名。

⑦壇ノ浦の戦い(1185年3月)平家 VS 源義経

源義経は水軍を味方につけ、平家との最後の決戦にいどんだ。平家一門は安徳天皇とともに入水し、平家は滅亡した。

軍記物語に描かれた源平合戦

『平家物語』『源平盛衰記』『吾妻鏡』などの軍記物に描かれた源平合戦。歌舞伎や時代劇など、さまざまな形で描かれている。

源義経

源義朝と常盤御前の間にうまれる。幼名は牛若丸。平治の乱後、鞍馬寺に預けられる。兄・頼朝が挙兵すると、武蔵坊弁慶らをしたがえて平家を滅ぼす。妻・静御前は美女として有名。

源頼朝

源義朝と由良御前の間にうまれる。父が平清盛に討たれた際、頼朝も斬首となるところを清盛の義母が止め、伊豆へと配流となる。豪族の娘・北条政子を妻にする。

木曽義仲

頼朝と義経のいとこにあたり、木曽で育てられる。以仁王に応じて挙兵し、俱利伽羅峠の戦いで平家の大軍を破り入京。平家を一掃するが、都での乱暴なふるまいにより追討される。

日本一の大天狗 後白河上皇

平家が絶大な権力を持つと子の以仁王に平家追討令をださせる。平家が安徳天皇を連れて逃げているので、後鳥羽天皇を即位させる。平家滅亡後は、武家政権を阻止したいため、後白河上皇は、源氏の勢力を抑えるために頼朝・義経兄弟の仲を裂こうとし、頼朝に無断で義経に官位を授ける。策にはまった頼朝は勝手に官位をもらっている義経に疑念を持つ。頼朝は義経を討ち全国を平定し、征夷大将軍に任命され、鎌倉幕府を開いた。

あとがき

日本史の流れを大まかに学ぶことで、人物名や年号を覚えることでどこかつまらないと感じていた歴史をもっと楽しく学べると思う。

ではまた、ごきげんよう。

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