イギリスとフランス因縁の対決 百年戦争とバラ戦争 楽しい世界史 -ヨーロッパの歴史-

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フランスのノルマンディー公ウィリアム1世がイングランド国王となり、フランスとイギリスの因縁ともいえる関係がうまれた。

そのイギリスとフランスの百年戦争とイギリスのバラ戦争について、「百年戦争とは」、「百年戦争前編」、「百年戦争後編」、「バラ戦争」を学んでいきたい。


そこで、今回の内容はこちら

  • 百年戦争とは
  • 百年戦争前編
  • 百年戦争後編
  • バラ戦争
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年表

いつできごと
911年ノルマン人のロロがノルマンディー公国を建国
10世紀神聖ローマ皇帝が、イタリアへの干渉政策をはじめる
1066年征服王ウィリアム1世がイングランド征服。ノルマン朝が成立
1339年百年戦争開始。戦況はイギリス優位に展開
1453年ジャンヌ=ダルクの活躍でフランス勝利。百年戦争終結
1455年イギリスでバラ戦争が勃発
1648年スイス独立。神聖ローマ帝国は300余りの領邦に分裂
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百年戦争とは

フランスの北部にノルマンディー公国ができた経緯とその後のイングランドの誕生が火種となり、領土を広げたいイギリスと奪還したいフランスの間で戦争が勃発。

死闘の末、フランスが勝利するが、両国は財政難に陥った

■ノルマンディー公国
10世紀はじめ、海賊ロロはヴァイキングを引き連れてフランス北岸に侵入。
困ったフランス王がロロに領土を与えてノルマンディー公国が成立した。

■ウィリアム1世がイングランド王へ
1066年、ノルマンディー公ウィリアム1世は、イングランドの王位継承権争いに参戦して勝利。
初代イングランド王となる。

■ヘンリ2世が元フランス王妃と結婚
ウィリアム1世の孫・ヘンリ2世が、フランス王と離婚したアリエノールを王妃に迎え、両国王の関係はさらに複雑化。

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百年戦争前編

イギリス軍は準備に時間のかかる弩(いしゆみ)ではなく、連射攻撃に長けた長弓を駆使して優勢となった。

エドワード3世の子・エドワード黒太子が、4倍近い戦力を持つフランス軍に対してフランス南西部を奪う大活躍をみせた。

百年戦争後編

劣勢を極めたフランスは黒死病(ペスト)の流行や農民の反乱で崩壊寸前になった。

しかし、神のお告げを受けた農民の娘・ジャンヌ=ダルクがイングランド軍を破り、逆転勝利した。

■ジャンヌ=ダルク
神のお告げを受けて参じ、住民や隊士にパンとお金を配って鼓舞した。
オルレアン包囲戦では、ジャンヌ=ダルクが敗北寸前だったフランス王太子・シャルル7世を孤立から助け出し、包囲していたイギリス軍を退けた。

ジャンヌ=ダルク
typeの人材紹介

バラ戦争

百年戦争の終結した後のイギリスで、1455年から1485年まで続いた内乱がバラ戦争。

王位継承をめぐる、ランカスター家とヨーク家の争いで、ランカスター家が赤バラ、ヨーク家が白バラを家紋にしていたので、「バラ戦争」と言われる。

戦争の直接の原因は王位継承問題であったが、それぞれ2派にわかれた封建貴族の私闘というのが実質。

多くの貴族が疲弊し自滅した結果、ランカスター派のヘンリ7世がテューダー朝を開き、ヨーク家と婚姻を結び終結する。

まとめ

今回の内容をまとめると

  • 百年戦争とはフランスの北部にノルマンディー公国ができた経緯とその後のイングランドの誕生が火種となり、領土を広げたいイギリスと奪還したいフランスの間での百年もの間続いた戦争。
  • イギリス軍はエドワード黒太子の活躍もあり、連射攻撃に長けた長弓を駆使して優勢となった。
  • 対するフランス軍は劣勢を極め、さらに黒死病(ペスト)の流行や農民の反乱で崩壊寸前になったが、神のお告げを受けた農民の娘・ジャンヌ=ダルクがイングランド軍を破り、逆転勝利した。
  • 百年戦争の終結後のイギリスで、1455年から1485年まで続いた内乱。王位継承をめぐる、ランカスター家とヨーク家の争いで、ランカスター家が赤バラ、ヨーク家が白バラを家紋にしていたので、「バラ戦争」と言われる。


ではまた、ごきげんよう。

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