満州事変のきっかけをわかりやすく 楽しい日本史 -近代国家への道-

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大正から昭和に変わり、軍部が力を持ち始め満州を占領する満州事変が起きた。

この満州事変について「満州事変のきっかけ」が気になる。

また、「世界恐慌」「政府への不満」「太平洋戦争までのみちのり」についても学んでいきたい。


そこで、今回の内容はこちら

  • 世界恐慌
  • 政府への不満
  • 満州事変
  • 太平洋戦争までのみちのり
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年表

いつできごと
1929年世界恐慌が発生し、世界的大不況におちいる
1931年関東軍が満州事変を起こし、日中間のにらみ合いが悪化
1932月日本が中国から満州を切り離し、独立国にする
1932年五・一五事件で犬養毅首相が暗殺され、軍部が台頭
1933年日本が国際連盟を脱退し、孤立
1936年二・二六事件で、高橋是清ら国の重鎮らが暗殺される
1938年人や物を議会の承認なしに動かせる国家総動員法を制定
1940年大政翼賛会が発足し、政党がなくなる

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世界恐慌

1929年、ニューヨーク株式市場で株価が暴落したことがきっかけで、世界恐慌がはじまった。

各国の経済が大きなダメージを受けた。

日本にも世界恐慌が波及した。

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政府への不満

大正デモクラシーの時は理想に燃えていた政党政治家たちも、権力争いや汚職をするようになっていた。

当時の政党は、世界恐慌にもすばやく対応できず、国民からの信頼を失っていった

政府に失望した国民は、その政府と対立する軍部(陸軍と海軍)を応援するようになった。

満州事変

世界恐慌により各国は対応するようになった。
 ・本国と植民地の間だけで経済を回すフランス、イギリスのブロック経済。

 ・独裁と侵略で国を立て直そうとするイタリア、ドイツのファシズム。

 ・政府の権限を強化して経済回復しようとするアメリカのニューディール政策。

 ・政府主導で経済目標を達成しようとするソ連の五か年計画。

日本では、国民の支持を得た軍部によって、中国を侵略して経済を回復させようとするファシズム的な動きが強まり、軍の権力はさらに強まっていった

そして、1931年に関東軍(陸軍の一部)が中国人がテロを起こしたという言いがかりをつけて満州を武力で占領する事件(満州事変)を起こした。

さらに、1932年には関東軍が滅びた清の皇族を皇帝にして日本が自由にあやつれる国・満州国をつくった

国際連盟の総会では満州国を認めない結論が出され、日本はこれが不服で国際連盟から脱退してしまう。

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太平洋戦争までのみちのり


五・一五事件(犬養毅首相の暗殺)、二・二六事件(元首相など国の要人の暗殺)という、若手将校が起こした反乱を利用し、軍部が本格的に政治に進出した。

これにより、政党政治は完全に終わりを迎えた。

一方、軍部だけでなく、政治家や官僚にも、独裁や侵略戦争を望む人たちはたくさんいた。

国家総動員法日独伊三国同盟大政翼賛会の結成により、日本の戦時体制を強めたのは、軍部出身ではない近衛文麿首相の内閣だった。

まとめ

今回の内容をまとめると

  • 1929年、ニューヨーク株式市場で株価暴落による世界恐慌がはじまった。各国の経済が大きなダメージを受け日本へも波及。
  • 世界恐慌へ各国が対応する中、日本でも国民の支持を得た軍部によって、侵略による経済回復させようとする動きが強まり関東軍(陸軍の一部)が満州を武力で占領する事件(満州事変)を起こし、独立国・満州国を作った。
  • 五・一五事件(犬養毅首相の暗殺)、二・二六事件(元首相など国の要人の暗殺)という、若手将校が起こした反乱を利用し、軍部が本格的に政治に進出し、戦時体制を強めていった。


ではまた、ごきげんよう。

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