十字軍遠征と教皇の失墜 楽しい世界史 -ヨーロッパの歴史-

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教会に対して政治的に介入する皇帝を排除すると、教皇の権威は絶頂に。
国外に目を向けた教皇は、イスラーム帝国に支配された聖地エルサレムを奪還するため、十字軍を結成した。

その十字軍遠征について、「ローマ教皇と皇帝」、「アナーニ事件」、「十字軍の影響」、「エルサレム」を学んでいきたい。


そこで、今回の内容はこちら

  • ローマ教皇と皇帝
  • アナーニ事件
  • 十字軍の影響
  • エルサレム
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年表

いつできごと
1095年クレルモン宗教会議で教皇が十字軍を提唱。翌年に発足
1099年十字軍がエルサレム王国を建国
1122年ヴォルムス協約。聖職叙任闘争が妥協をもって終結
1189~92年リチャード1世がサラディンと戦い和して帰国
1270年第7回十字軍が派遣されたが失敗。十字軍が終了
1309~77年教皇が捕囚されアヴィニョンに移転される(教皇のバビロン捕囚)
1378~1417年ローマ教皇選出をめぐり教会大分裂(大シスマ)が起こる
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ローマ教皇と皇帝

カール大帝からはじまった両者の関係は、皇帝の政治介入を機に対立。

教皇の権威は絶頂期を迎えたが、十字軍の失敗で失墜していく。

■確立期
ローマにキリスト教を伝えたペテロを継ぐものとして、カトリック教会の最高権力者「教皇」が誕生
フランク王国の改宗を皮切りにゲルマン人へ積極的に布教し、権威の基礎を築いた。

■提携
フランク王ピピンに教皇領を寄進されて経済基盤を獲得。
東方教会とビザンツ帝国に対抗するため、カール大帝を西ローマ皇帝に任命(カール帝冠)し、政治的権力も持つようになった。

■対立期
教会を政治的に利用したい神聖ローマ皇帝と対立し、高位聖職者の任命権をめぐる闘争が勃発。
皇帝が教皇に破門撤回の許しをこう事件(カノッサの屈辱)が起こると、教皇の権威は強大化した。

■絶頂期
教皇の肝いりではじまった十字軍遠征が、相次いで失敗
教皇の権威が同様する。
一方、遠征を率いた諸国の王権は強まり、地中海貿易で北イタリア諸都市が発展し、貨幣経済が広がった。

■衰退期
十字軍の失敗で没落する教皇に変わり、遠征を指揮した各国王の権力が拡大。
教皇がアヴィニョンへの強制移転(教皇のバビロン捕囚)されフランス国王の監視下に置かれると、別の教皇が擁立され、権威は失墜した。

種類3

アナーニ事件

教皇は、聖職者に課税するフランス王やイングランド王と対立。

1303年9月、フランスの反教皇派の国王顧問兼モンペリエ大学教授のノガレは、ローマ郊外のアナーニに滞在していたローマ教皇・ボニファティウス8世を捕らえた

ノガレと同行していたコロンナは教皇を軟禁し、教皇から三重冠(教皇位のシンボル)と祭服を奪い、退位を迫ったが、教皇はその要求をはねのけた。

さらに、教皇をフランスに連行しようとするノガレと、この場で殺害してしまおうとするコロンナが激しく口論し、その状態が二日も続いた。

その間に、駆けつけたアナーニ市民に教皇は救出され、ローマに戻った

しかし、教皇は1ヶ月後に急死してしまい、アナーニの屈辱のショックと悔しさで憤激したあまりに死んだので「憤死」と言われている。

ノガレが教皇を襲撃したことは、フランス王フィリップ4世には知らせていなかったと言われているが、結果的にフランス王フィリップ4世がローマ教皇との抗争に勝利したこととなり、教皇権の衰退を象徴する事件となった。

十字軍の影響

イエス生誕の地エルサレムを、異教徒から奪還する十字軍は、ほぼ失敗に終ったが、これをきっかけに西ヨーロッパ世界は大きく変わりはじめた

■ヴェネツィアと東方貿易
ヴェネツィアは商業都市として発展。
ラテン帝国を建国すると、地中海東岸との貿易の中心地として最盛期を迎えた。

■レコンキスタ(国土回復運動)
8世紀にイスラームに征服されて以降、国土を取り返そうとキリスト教徒が反撃し続け、ポルトガル王国やスペイン王国を建国。
ついにイスラーム軍最後の砦グラナダを奪還し、レコンキスタが完了した。
スペインやポルトガルが海の向こうへと進出するきっかけとなった。

■シチリア島と12世紀ルネサンス
十字軍によって、イスラームの学問やビザンツ帝国で保管されていたヘレニズム文化が持ち込まれると、キリスト教文化と融合した独自の文化が誕生。
騎士道物語や大学が誕生した。

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エルサレム

ヨーロッパで人気を博していた巡礼地エルサレムをイスラームが占領。

十字軍が奪い王国を建設するが、サラディンに奪還された。

このエルサレムは、現在のイスラエル国東部に位置する都市で、その長い歴史から、世界最古の都市のひとつであるといわれている。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地が集まるエルサレムは、3000年にもわたる歴史をもっている。

■エルサレムに聖地が集まる理由
3つの宗教が同一の神を信仰しているから根本は同じ。
ユダヤ教の経典であるタナハ(キリスト教における旧約聖書)からキリスト教の新約聖書やイスラム教のコーランが生まれたため。
エルサレムは、もともとユダヤ人の住んでいた土地。
ユダヤ人は、民族宗教としてユダヤ教を信仰しており、旧約聖書には、エルサレムの土地は神によってユダヤ人に与えられたと書かれている。

■注目されるエルサレム
エルサレムには、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」、キリスト教の聖地「聖墳墓(せいふんぼ)教会」、イスラム教の聖地「岩のドーム」がある。
3つの宗教の聖地が城壁に囲まれた0.9平方キロメートルの旧市街区の中に共存している。
エルサレムの旧市街区と城壁群は1981年に世界文化遺産に登録され、世界中の人々が聖地巡礼に訪れている。

まとめ

今回の内容をまとめると

  • 教皇と皇帝は、皇帝の政治介入を機に対立し、教皇の権威は絶頂期を迎えたるが、十字軍の失敗で失墜していく。
  • 教皇権の衰退を象徴する事件としてアナーニ事件が起き、教皇の権威は没落した。
  • イエス生誕の地エルサレムを、異教徒から奪還する十字軍は、ほぼ失敗に終ったが、これをきっかけに西ヨーロッパ世界は大きく影響した。
  • エルサレムは、現在のイスラエル国東部に位置する都市。3000年にもわたる歴史をもち、世界最古の都市のひとつであるといわれている。
    ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地が集まるエルサレムは、世界中の人々が聖地巡礼に訪れている。


ではまた、ごきげんよう。

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