ビザンツ帝国と東ヨーロッパ 楽しい世界史 -ヨーロッパの歴史-

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東ローマ帝国は地中海貿易により繁栄し、貨幣経済が発達、絹織物産業も発展した。
皇帝が政治と宗教両面における最高権力者で、ギリシア文学とキリスト教が融合した独自の文化が生まれ、東ローマ帝国はビザンツ帝国とも呼ばれている

そのビザンツ帝国について、「カトリック教会とギリシア正教」、「ギリシア正教とビザンツ帝国」、「ビザンツ帝国の滅亡と継承」、「モスクワ大公国」を学んでいきたい。


そこで、今回の内容はこちら

  • カトリック教会とギリシア正教
  • ギリシア正教とビザンツ帝国
  • ビザンツ帝国の滅亡と継承
  • モスクワ大公国
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年表

いつできごと
330年ローマ帝国の首都がコンスタンティノープルへ移る
395年ローマ帝国が東西に分裂
726年聖像禁止令が聖像崇拝論争に発展
1054年東西教会が分裂し、ギリシア正教会が成立する
1243年~ロシア地方がモンゴルの支配下に。この頃、キエフ公国滅亡
1453年オスマン帝国によってビザンツ帝国が滅ぼされる
15世紀後半イヴァン3世がビザンツ王の姪と結婚。帝国を継承
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カトリック教会とギリシア正教

西ヨーロッパのキリスト教がカトリックと呼ばれたのに対して、東ヨーロッパに広がったキリスト教はギリシア正教と呼ばれた。

ビザンツで信仰されたキリスト教(ギリシア正教)は北方にすむスラヴ人へも伝わった。

ギリシア正教とビザンツ文化は、スラヴ人の国であるキエフ公国やロシアの前身であるモスクワ大公国に受け継がれた。

■カトリック教会
ローマ教会をトップとした、西ヨーロッパに広がるキリスト教。
正統派とされていて、神学が発展。
・教会は、重厚なロマネスク様式や、ステンドグラスで装飾されたゴシック様式建築
・ゲルマン人への布教に聖像を用いた
・縦に長い長十字が基本

■ギリシア正教会
スラヴ人やロシア人に広がった東方の教会。
信仰体験や復活祭を重視し、原始キリスト教の精神を継承
・ビザンツ皇帝が宗教も主導する皇帝教皇主義
・教会は、丸いドーム型の屋根が特徴的なビザンツ様式
・聖像での布教は禁止され、聖像画(イコン)を崇拝

■キエフ公国
ノヴゴロド国を建国したスラヴ人が、キエフに移動して建国。
ロシアの起源となった国。
大公ウラディミル1世がビザンツ皇女と結婚したのを機に、ギリシア正教になる

種類3

ギリシア正教とビザンツ帝国

ローマ教会が布教に用いた「聖像」をビザンツ帝国が禁止したことで、両協会は完全に分裂。

ビザンツ帝国でギリシア正教が成立した。

■ビザンツ帝国の成立
ゲルマン人の影響が少なかったビザンツ帝国は地中海貿易で繁栄し、首都はヨーロッパ最大の商業都市になった。

■ローマ教会との対立
ローマ教会が聖像を布教に使い、ゲルマン人の信徒を増やし始めると、ビザンツ皇帝は聖像を禁止した。

■ギリシア正教会の成立
もともと対立していた東西の教会は聖像の禁止を境に完全に分裂。
ビザンツ帝国の教会はギリシア正教となった。

ビザンツ帝国の滅亡と継承

地中海のほぼ全域を征服したビザンツ帝国だったが、長期の戦争やスラヴ人など異民族の移住により、国力が低下。

オスマン帝国に滅ぼされた

ビザンツ皇帝の姪が嫁いだモスクワ大公国が、帝国の後継者として台頭した。

typeの人材紹介

モスクワ大公国

キエフ公国がモンゴルの侵入で滅亡して以降、ロシアは厳しい支配下に置かれた。

しかし、イヴァン3世が国土を統一してモスクワ大公国の独立に成功する。

ビザンツ最後の皇帝の姪と結婚したことから、ビザンツ帝国の後継者となった総主教であらうロシア正教会がモスクワに置かれた

まとめ

今回の内容をまとめると

  • 西ヨーロッパのキリスト教がカトリックと呼ばれたのに対して、東ヨーロッパに広がったキリスト教はギリシア正教と呼ばれた。
  • ローマ教会が布教に用いた「聖像」をビザンツ帝国が禁止したことで、両協会は完全に分裂。
    ビザンツ帝国でギリシア正教が成立
  • ビザンツ帝国はオスマン帝国に滅ぼされ、ビザンツ皇帝の姪が嫁いだモスクワ大公国が、ビザンツ帝国の後継者として台頭した。
  • キエフ公国がモンゴルの侵入で滅亡して以降、ロシアは厳しい支配下に置かれたが、イヴァン3世が国土を統一してモスクワ大公国の独立に成功した。


ではまた、ごきげんよう。

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