ラテン人が築いたイタリアの都市国家ローマ。
ギリシアの影響を受けて共和政となり、イタリア半島を支配、アフリカにも進出して地中海を統一した。
そのローマ帝国について、「王政ローマ」、「共和政ローマ」、「三頭政治」、「帝政ローマ」を学んでいきたい。
そこで、今回の内容はこちら
- 王政ローマ
- 共和政ローマ
- 三頭政治
- 帝政ローマ
年表
いつ | できごと |
---|---|
紀元前753年 | ロムルスとレムス兄弟がローマを建国したと伝わる |
紀元前509年 | 貴族が実権を握る共和政が確立 |
紀元前272年 | ローマがイタリア半島を統一 |
紀元前264年 | ポエニ戦争勃発。ローマとカルタゴが地中海の覇権を争う |
紀元前44年 | カエサルをブルートゥスが暗殺 |
紀元前27年 | オクタウィアヌスが皇帝になり帝政を開始 |
106年 | 五賢帝トラヤヌスのダキア征服により最大領地に |
王政ローマ
紀元前8世紀頃、北方から南下してきたイタリア人の一部ラテン人がローマを建国。
当初は先住民エトルリア人の王に支配されていた。
■ローマ建国(紀元前753年)
伝説ではオオカミに育てられた双子の兄弟ロムルスとレムスがローマを建国。
弟を殺した兄が王政をしき40年間統治。
共和政ローマ
紀元前6世紀末に共和政となったローマだが、貴族の立場は強いままだった。
平民が政治に参加する権利を得てからも、貴族が実権を握っていた。
■ローマに共和政が成立
紀元前6世紀末、王を追放して貴族共和政を開始。
平民と貴族との間で対立が起こると平民にも参政権が与えられ、紀元前287年には平民の政治上の権利が貴族と同等となった。
三頭政治
紀元前60年、内乱を収めた実力者3人による三頭政治がはじまったが、その中でカエサルが内乱を起こしたためくずれた。
■カエサルの独裁
ガリア(現フランス)遠征で名声を高めたカエサルは、政権を掌握。
エジプトのクレオパトラも恋人にしたが、支持者だったブルートゥスに暗殺された。
帝政ローマ
紀元前27年、カエサルの後を継いだオクタウィアヌスが事実上の皇帝となると、五賢帝時代まで平和な時代が続いた。
約200年の平和な時代を「パックス=ロマーナ」と呼ぶ。
■専制君主制の開始(紀元前27年)
元老院からアウグストゥス(尊厳者)の称号を受けたオクタウィアヌスは、共和政の制度を尊重しブルンケプス(元首)を自称。
しかし、実際にはすべての要職を兼任したので、事実上の皇帝となった。
■キリスト教徒迫害(64年)
ネロ帝はローマ大火の責任をキリスト教徒に転嫁して迫害。
ローマ神や皇帝を押しのけて信者を増やすキリスト教を、脅威に感じていた。
■五賢帝時代(96年~180年)
五賢帝の時代とよばれたローマは最盛期を迎えた。
トラヤヌス帝のときに領土が最大となり、ハドリアヌス帝の頃にはイングランド北部に城壁を築いて征服政策を廃止した。
まとめ
今回の内容をまとめると
- 紀元前8世紀頃、北方から南下してきたイタリア人の一部ラテン人がローマを建国。
当初は先住民が王となった。 - 王を追放して貴族共和政を開始。
平民と貴族との間で対立が起き、平民にも参政権が与えられ、紀元前287年には平民の政治上の権利が貴族と同等となった。 - 紀元前60年、内乱を収めた実力者3人の三頭政治がはじまったが、その中でカエサルが内乱を起こし、これが崩れる。
- カエサルは暗殺され、後を継いだオクタウィアヌスが事実上の皇帝となり、五賢帝時代まで平和な時代が続いた。約200年の平和な時代を「パックス=ロマーナ」と呼ぶ。
ではまた、ごきげんよう。