1914年、ヨーロッパの大国たちの領土支配をめぐる戦いから第一次世界大戦が勃発。
そんな第一次世界大戦について「第一次世界大戦のきっかけ」が気になる。
また、「韓国併合」「伊藤博文の暗殺」「三国同盟と三国協商」「第一次世界大戦後の日本」についても学んでいきたい。
そこで、今回の内容はこちら
- 韓国併合
- 伊藤博文の暗殺
- 第一次世界大戦のきっかけ
- 三国同盟と三国協商
- 第一次世界大戦後の日本
年表
いつ | できごと |
---|---|
1906年 | 韓国統監府が設立され、伊藤博文が初代統監になる |
1909年 | 伊藤博文が韓国の青年に暗殺される |
1910月 | 韓国併合が進められ、朝鮮半島が日本の植民地となる |
1911年 | 辛亥革命が勃発し、清が滅亡する |
1914年 | サラエボ事件をきっかけに第一次世界大戦がはじまる |
1919年 | ヴェルサイユ条約が結ばれ、第一次世界大戦終結 |
1920年 | 国際連盟が発足。しかしロシア・アメリカは属さず |
1921年 | ワシントン会議が開催され、世界的な軍縮が進む |
韓国併合
1905年のポーツマス条約で、ロシアは日本の韓国支配に口出しできなくなった。
日本はロシアから得た韓国の支配権を実行するため、韓国統監府を設置し、伊藤博文が初代統監となった。
伊藤博文は、ロシアから得たのは支配権だけで、独立を奪い、植民地化する権利はない。
と主張するが、桂太郎は反発。
韓国を併合し日本が指導することで近代化させ、韓国をロシアからの防壁にしようと主張した。
日本国内では、併合派が優勢になり、1910年に日本は韓国を併合。
国名を朝鮮に戻し、朝鮮総督府が統治した。
総督府は日本と同じ生活水準に引き上げるため、道路や学校、医療などのインフラ整備を行った。
また日本語教育に力を入れるなど、朝鮮を日本に同化させる政策も行った。
言論の制限や結社の禁止、独立運動などへの取り締まりも行われ、韓国を完全に植民地化し、その支配は35年間続くことになった。
伊藤博文の暗殺
韓国の支配権を認められた日本は、国の外交権を奪い、伊藤博文をトップとする統監府という組織に、韓国の外交を代わりに行わせた。
伊藤博文は韓国併合には反対していたが、皮肉にも韓国の独立運動家に暗殺されてしまった。
併合反対派の大物がいなくなってしまう結果となり、併合賛成派はますます勢いづけていく。
第一次世界大戦のきっかけ
ヨーロッパでは大国たちが三国協商と三国同盟というふたつのグループに分かれ、領土支配をめぐって対立していた。
そして1914年、オーストリアがセルビア人が多く住む地方を併合したことを発端に、オーストラリアの皇太子がセルビア人に暗殺されたサラエボ事件が起きる。
これをきっかけにオーストリアが参加する三国同盟とセルビアに味方する三国協商との間で戦争がはじまった。
この戦争が第一次世界大戦と呼ばれた。
三国同盟と三国協商
日韓がもめている中、ヨーロッパでも領地支配をめぐって対立が起きていた。
そしてサラエボ事件をきっかけに戦争が始まる。
三国同盟とは、ドイツ、オーストリア、イタリア。
三国協商とは、ロシア、フランス、イギリス。
このふたつのグループが激突した。
日本は日英同盟を結んでいたため、イギリスのいる三国協商に味方し三国同盟が中国に持っていた領地を攻撃したり、ヨーロッパに海軍を送るなどの協力した。
第一次世界大戦後の日本
第一次世界大戦で日本は、国内が戦争の被害を受けることはなく、むしろ三国協商の国への輸出品が増えたことで景気がよくなる大戦景気となった。
また、1918年に三国同盟側のドイツが降伏し、パリ講和会議で条約が結ばれ、日本も参加した。
さらに、第一次世界大戦後に各国は国際連盟という組織をつくり、世界平和の維持に力をいれた。
日本は国際連盟が結成された時から参加し、中心メンバーとなった。
まとめ
今回の内容をまとめると
- 1905年のポーツマス条約で、ロシアは日本の韓国支配に口出しできなくなり、支配権を実行。1910年に日本は韓国を併合し、国名を朝鮮に戻し、朝鮮総督府が統治した。そこから35年間の支配がつづいた。
- 伊藤博文は韓国併合には反対していたが、皮肉にも韓国の独立運動家に暗殺されてしまった。このことにより韓国併合が逆に加速してしまう。
- ヨーロッパの大国が三国協商と三国同盟に分かれ、領土支配をめぐって対立し、1914年のオーストラリアの皇太子がセルビア人に暗殺されるサラエボ事件をきっかけに第一次世界大戦後が勃発した。
- 三国同盟とは、ドイツ、オーストリア、イタリア。三国協商とは、ロシア、フランス、イギリス。日本は日英同盟を結んでいたため、イギリスのいる三国協商に味方し三国同盟が中国に持っていた領地を攻撃したり、ヨーロッパに海軍を送るなどの協力した。
- 第一次世界大戦で日本は、国内が戦争の被害を受けることはなく、むしろ三国協商の国への輸出品が増えたことで景気がよくなる大戦景気となった。
ではまた、ごきげんよう。