源頼朝 鎌倉幕府を開いた初代鎌倉殿は浮気性 楽しい日本史 -偉人編- 08

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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でもおなじみ日本初の幕府である鎌倉幕府を開き武士政権の礎を築いた源頼朝についての以下のような疑問を学習する記事。

  • 源頼朝は何をした人?
  • 源頼朝はどんな人だった?
  • 北条政子との出会い

源頼朝の情報

時代平安~鎌倉時代
身分征夷大将軍
出身地京都
別名鎌倉殿、鬼武者
生没年1147年頃~1199年

時代背景

武士たちの発達

9世紀頃から地方が乱れはじめたため、朝廷は有力貴族を地方に下向させ、在庁官人とした。彼らは弓矢を持ち、馬に乗って戦う武士になり、やがて武士団を作って勢力を広げた。その代表が桓武平氏や清和源氏。10世紀半ばにおきた平将門の乱も、朝廷からの派遣軍ではなく、こうした地方武士によって制圧された。やがて朝廷や貴族は、武士をしたがえ、宮中の警護や治安維持を行わせるようになり、朝廷や貴族の家人となった。また、武士の中には官位を授かるものも現れた。

源氏と平氏のルーツは天皇

武士の棟梁である源氏と平氏。源氏の祖先は清和天皇、平氏の先祖は桓武天皇であることからそれぞれ「清和源氏」、「桓武平氏」と呼ばれている。

平治の乱から平氏の衰退

全国各地で乱が続いたことで、朝廷の軍事力の低下と武士の実力は次第に浮彫になる。源氏は前九年の役や後三年の役のほうびを朝廷に代わって武士たちにあたえ、東国に大武士団をつくった。
一方の平氏も、上皇を警護する「北面の武士」の筆頭に選ばれ西国に勢力を拡大する。
源氏と平氏はやがて平治の乱で激突、平清盛が勝利し源氏は衰える。しかし、貴族化した平氏は源平合戦で源氏に敗北することになる。

源頼朝のすごさ

源氏のプリンス

頼朝はヤンキーのような源氏武家の中のプリンス。父の源義朝から「鬼武者」という中二病のような幼名をつけられてまわりから相当チヤホヤされて育った。

伊豆へ島流し

源氏と平氏はともに天皇に仕える仲間であったが、しだいに政治の主導権をめぐって対立するようになり、平治の乱が勃発した。平治の乱で源義朝が平清盛に負け、殺されると、後継ぎである頼朝は伊豆の島に流された。都会のプリンスだったったが、田舎のニートに一気に転落する。

伊豆で運命の出会い

田舎でくすぶっていた頼朝だが、わりとイケメンだったことが幸いし、伊豆の有力者の北条時政の娘・政子のハートを射止め、当時としては珍しく恋愛結婚をする。

打倒平氏

頼朝は政子の実家、北条氏の力を借りて平氏打倒を呼びかける。すると従兄弟の義仲や弟の義経をはじめとして、反平氏の武士が各地で立ち上がる。勢いづいた彼らは、平氏の軍勢をバタバタとなぎ倒していく。

疑心暗鬼な征夷大将軍

仲間だった平氏に父を殺されているトラウマを持っているせいか、頼朝は仲間を信じられない。戦で活躍した義仲を義経に殺させると、今度は義経を裏切者として追放し、自害に追い込む。
こうして敵をたおしながら、味方までも倒して、頼朝は征夷大将軍として日本のトップにのぼりつめる。

源頼朝ってじつは・・・

政子の情熱

頼朝と恋に落ちた政子は、親が決めた婚約者と無理やり結婚式を挙げさせられそうになったが、雨の中逃げ出し、山を越えて頼朝のもとへ戻った。その政子の恐ろしいほどの情熱によって二人は結婚することになる。

政子が妊娠中に浮気

結婚から5年後、あろうことか妊娠中の政子の目をぬすみ、頼朝は亀の前という女性と浮気をする。当然、浮気を知った政子は大激怒。親戚の牧宗親に頼んで、亀の前の家をぶっ壊した。亀の前は何とか逃げ出して無事だったが、頼朝はさすがに、やりすぎではないか。とご立腹。でも、自分の浮気が原因なので政子も怖いので直接文句は言えない。

はらいせするも謝罪

頼朝は、浮気相手の亀の前の家をぶっ壊した実行犯の宗親を呼び出し、武士の命であるチョンマゲを切り落としてしまう。ところが、それを知った政子の父・北条時政が親戚をコケにされたと激怒してしまい、頼朝はあわてて謝罪したそう。

妻の尻にしかれまくり

頼朝はニート時代から鎌倉幕府の成立までを支えてくれた政子には一生頭があがらなかった。頼朝の死後、息子たちが相次いで暗殺され、政子は鎌倉幕府の実質的な指導者となる。幕府は北条氏が仕切るようになり、源氏の名はたった3代で終わってしまうのだった。

あとがき


偉人に興味を持ち、その人物軸で時代背景や文化、歴史についても興味が持てればもっと楽しく学べると思う。

源氏と平氏の起源や武士文化のはじまりについての記事はこちら。

院政のはじまりと上皇の権力についてはこちらの記事。

のぼりつめる平清盛と平氏の政権についてはこちらの記事。

大天狗 後白河上皇に翻弄された源平合戦の記事はこちら。

鎌倉幕府と執権、朝廷との承久の乱までの流れについての記事はこちら。

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ではまた、ごきげんよう。

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