・ナポレオンのクーデターによりフランス革命が終結
・ナポレオンは領土を広げ、内政でも手腕を発揮し皇帝に
・ロシア遠征の失敗をきっかけに王政が復活
このナポレオンについて、「ナポレオンの青年期」、「ナポレオンの最盛期」、「ナポレオンの晩年期」を学んでいきたい。
そこで、今回の内容はこちら
- ナポレオンの青年期
- ナポレオンの最盛期
- ナポレオンの晩年期

年表
いつ | できごと |
---|---|
1769年 | ナポレオンが地中海のコルシカ島で誕生 |
1799年 | ナポレオンのクーデターによりフランス革命が終わる |
1804年 | ナポレオンが皇帝として即位する |
1805年 | トラファルガーの海戦でネルソン率いるイギリス軍に大敗 |
1806年 | ライン同盟の結成により神聖ローマ帝国が消滅する |
1812年 | ナポレオンがロシア遠征に失敗し、2年後に王政が復古する |
1815年 | ナポレオンが再び退位し、セントヘレナ島へ流刑される |

ナポレオンの青年期
ナポレオンは地中海のコルシカ島で新興貴族の次男として誕生し、内気な性格で友達は少なかった。
パリで学問を修めて砲兵仕官になり、学生時代から指揮の才能があったと言われている。
1789年、20歳のときフランス革命が勃発すると、急進的な改革を進める政権を支持して功績を上げた。
しかし王党派のクーデターが起こり一時投獄された。
1796年、27歳のとき王党派の反乱を収め、イタリア遠征軍司令官に選ばれて活躍。
エジプト遠征の指揮も行った。

ナポレオンの最盛期
1799年、30歳。
クーデターによりフランスで事実上の独裁政権を握り、ヨーロッパのほぼ全土を支配。
一方、財政の安定化や民法典の制定など内政にも力を入れた。
1804年、35歳。
革命で利益を得たブルジョワジーや農民からの圧倒的支持を受け、国民投票で皇帝に即位。
ナポレオンの独裁による第一帝政がはじまった。
■トラファルガーの海戦
ネルソン率いるイギリス軍に大敗する。
しかし、イギリスが快勝したが、ネルソンは戦死。
■大陸封鎖令
ナポレオンはイギリスの経済を締め出すため、大陸封鎖令を発令。
大陸の市場を独占することで、自国の産業を成長させようとした。

ナポレオンの晩年期
1814年、45歳。
封鎖令を無視するロシアに遠征して大敗。
解放戦争に立ち上がった諸国にも敗北した。
パリを占拠されたナポレオンはエルバ島に流され、王政(ブルボン朝)が復活した。
1815年、46歳。
エルバ島から脱出し、皇帝に復位。
しかし、ワーテルローの戦いでイギリス、オーストリアなどの連合国に完敗し、セントヘレナ島に流された。
1821年、52歳。
アフリカ大陸の孤島、セントヘレナ島でイギリスに監視されながら幽閉生活を送り、回顧録を残したが、病に倒れて生涯を終える。

まとめ
今回の内容をまとめると
- ナポレオンは、学生時代から指揮の才能があり、パリで学問を修めて砲兵仕官になり、20歳のときフランス革命が勃発すると、急進的な改革を進める政権を支持して功績を上げた。
- 王党派のクーデターが起こり一時投獄されたが、27歳のとき王党派の反乱を収め、イタリア遠征軍司令官に選ばれて活躍。エジプト遠征の指揮も行った。
- クーデターによりフランスで事実上の独裁政権を握り、ヨーロッパのほぼ全土を支配し、財政の安定化や民法典の制定など内政にも力を入れた。35歳のとき革命で利益を得たブルジョワジーや農民からの圧倒的支持を受け、国民投票で皇帝に即位した。
- 封鎖令を無視するロシアに遠征して大敗。 また解放戦争に立ち上がった諸国にも敗北し、パリを占拠されたナポレオンはエルバ島に流された。
- 46歳でエルバ島から脱出し、皇帝に復位。 しかし、ワーテルローの戦いでイギリス、オーストリアなどの連合国に完敗し、アフリカ大陸の孤島、セントヘレナ島に流された。
- セントヘレナ島でイギリスに監視されながら幽閉生活を送り、回顧録を残したが、病に倒れて52歳で生涯を終える。
ではまた、ごきげんよう。

