・ルターが教皇の贖宥状(免罪符)乱売を批判し、宗教改革を開始
・影響を受けたカルヴァンがスイスで宗教改革を実行
・プロテスタントが各国で内乱を誘発。国際戦争となる
この宗教改革・宗教戦争について、「宗教改革」、「宗教戦争」、「イエズス会と日本への布教」を学んでいきたい。
そこで、今回の内容はこちら
- 宗教改革
- 宗教戦争
- イエズス会と日本への布教
年表
いつ | できごと |
---|---|
16世紀はじめ | 教皇レオ10世が贖宥状(免罪符)の販売を許可 |
1517年 | ルターが「九十五カ条の論題」を発表。贖宥状を批判 |
1522年 | 破門されたルターが新約聖書のドイツ語訳を完成させる |
1534年 | ヘンリ8世によりイギリス国教会が成立 |
1541年 | カルヴァンがジュネーヴで神権政治をはじめる |
1562年 | フランスでユグノー戦争が勃発 |
1568年 | スペイン領でネーデラント(オランダ)独立戦争が開戦 |
1618年 | ドイツの宗教反乱が三十年戦争へと発展 |
宗教改革
政治と結びついた教会は次第に腐敗。
メディチ家出身のレオ10世が教皇となると金策に走るようになった。
修道士として神学をおさめ、聖書の内容が最重要だと考えたルターは、聖書に反して信徒から金を巻き上げてまで金策に走る教皇の贖宥状乱売を批判し、教皇の権威をゆるがした。
■福音主義
聖書(キリスト教の福音)を重要視することを福音主義という。
■サン=ピエトロ大聖堂の建設
カトリックの総本山とされる世界最大の聖堂。
芸術性が高く評価されている。
建築費用を集めるため、教皇レオ10世が贖宥状(免罪符)を販売した。
■カトリック教会(旧教)
教皇をトップとする階層制。
イタリア、スペイン、ドイツ南部を中心に、アメリカ、アフリカ、アジアなどに広がった。
■プロテスタント(新教)
カルヴァン派、イギリス国教会を含む新教徒の呼称
ルターが抗議文(protestation)を提出したことが語源
ルター派:牧師が信徒を指導し、信徒を身分で区別しない。ドイツ北部と北欧に伝播した。
カルヴァン派:牧師と長老によって運営され、政治への強い影響力を持った。
イギリス国教会:イギリス国王をトップとする国家宗教。教皇を否定するが、カトリック様式は肯定。
■対抗宗教政策
プロテスタント(新教)の弾圧や教会内部の粛正など、ローマ教会とスペイン宮廷を中心に行った内部革新
宗教戦争
新教プロテスタントと旧教カトリックの争いは各地で勃発。
イングランドの王政を倒したり、オランダが独立したりと、社会が大きく動いた。
なかでも三十年戦争は宗教的対立をこえ、神聖ローマ帝国とスペイン対フランスの戦いに発展。
このように宗教対策や領土をめぐって対立し、海外進出を競いあっていたヨーロッパ諸国は、つねに緊張状態にあった。
イエズス会と日本への布教
スペイン宣教師のフランシスコ=ザビエルは、同志とともにイエズス会を結成し、教皇の許可を得て海外への布教活動を積極的に行い、来日した。
鹿児島からキリスト教の布教をはじめると、九州を中心とした武将たちに受け入れられ広がっていった。
まとめ
今回の内容をまとめると
- 宗教革命とは、聖書の内容が最重要だと考えたルターが教皇の贖宥状(免罪符)乱売による金策を批判した動きのこと。
- 新教プロテスタントと旧教カトリックが争う宗教戦争がヨーロッパ各地で勃発し、イングランドの王政を倒したり、オランダが独立したりと宗教的な対立を超えつねに緊張状態となった。
- 三十年戦争は神聖ローマ帝国とスペイン対フランスの戦いに発展。
- フランシスコ=ザビエルは、同志とともにイエズス会を結成し、教皇の許可を得て海外への布教活動を積極的に行い、来日した。
ではまた、ごきげんよう。