武士の起源 源氏と平氏から武士文化へ 楽しい日本史 -日本のはじまり- 9.

BEGINING OF JAPAN

地方の治安悪化から自分たちの領地を守るために武装したことから武士がはじまり、全国各地の乱を治めることで権力を持っていくことになった
源氏と平氏が武士の起源になりのちの武士文化がはじまるきっかけになっているが朝廷で抑えられなくなった地方の乱れを抑えるために必然的に必要な勢力だったのが皮肉であり興味深い

ポイント

  • 武士のはじまり
  • 源氏と平氏
  • 地方の乱れ

年表

いつできごと
935~940年承平・天慶の乱(平将門の乱・藤原純友の乱)が起こる
1017年藤原道長、もっとも高い位である太政大臣になる
1019年大陸の女貴族などが壱岐・対馬を襲った刀伊の入寇が起こる
1028年平将門の子孫にあたる平忠常が乱を起こし、鎮圧される
1051年東北地方の内紛を源頼義父子が治めた前九年の役が起こる
1083年再び源頼義父子が内紛を鎮圧する後三年の役が起こる
1086年白河天皇が退位して上皇となり、院政をはじめる

武士のおこり

地方の乱れを治めるため朝廷から有力貴族の子孫が地方に向かい、一大勢力を築いていった。
藤原純友の乱を鎮めた源経基や平将門の乱を治めた平貞盛が武士団を形成し、源氏と平氏を盛り上げていった。

全国各地の乱

平将門の乱(935~942年)

平将門は桓武天皇の曾孫の高望王の孫にあたり、一族の内紛が発端で、常陸・下野・上野の国府を占領する。一時は関東を支配し「新皇」を称した。しかし、平貞守と藤原秀郷に追討される。

藤原純友の乱(939~941年)

藤原純友が、国司として赴任した伊予に土着し、瀬戸内海の海賊の首領となり反乱をおこした。小野好古と源経基らによって鎮圧される。

刀伊の入寇(1019年)

大陸の女真族(のちに金を建国する民族)が、壱岐・対馬・北九州などに侵攻。中央の朝廷や貴族を驚かせるが、藤原隆家らが撃退する。

平忠常の乱(1028~1031年)

平将門の孫・平忠常の反乱。源頼信が鎮めたことで、源氏を支持する関東の平氏が増加。のちに源頼朝が鎌倉を拠点とする原点となった。

前九年の役(1051~1062年)後三年の役(1083~1087年)

陸奥守・源頼義・義家父子と、陸奥の豪族・安倍氏や藤原清衡との攻防。勝利した源義家は東国の武家のリーダーとなる。

全国各地の勢力

朝廷や貴族の力で解決できなかった乱を武士たちが鎮圧したことで武士の権力がどんどん強まった。

河内源氏(清和源氏)

多田源氏の祖・源満仲の三男の頼信からはじまり、河内国を本拠地とし、源義家が源氏武士団の主流になる。のちに源頼朝を輩出。

伊勢平氏(桓武平氏)

平将門の乱と藤原純友の乱に功績のあった平貞盛の四男・平維衡を祖とする。のちに平清盛を輩出。

武蔵七党

平安時代末期から武蔵国を中心に勢力を伸ばした7つの同族的武士団。村山党(多摩・入間)、横山党(南多摩)、猪俣党(旧那賀郡)などがある

あとがき

日本史の流れを大まかに学ぶことで、人物名や年号を覚えることでどこかつまらないと感じていた歴史をもっと楽しく学べると思う。

ではまた、ごきげんよう。

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