中国の歴史 春秋戦国時代と始皇帝 楽しい世界史 -中国と東アジアの歴史-

CHINA AND EAST ASIA

キングダムの時代として有名な春秋戦国時代と秦の始皇帝

群雄割拠の時代から始皇帝が中国を統一するという物語が少年心をくすぐる。

その春秋戦国時代について、「群雄割拠の春秋時代」、「七雄が争った戦国時代」を学んでいきたい。

また、始皇帝について「秦の始皇帝による中国統一」、「秦の統一政策」を学んでいきたい。


そこで、今回の内容はこちら

  • 群雄割拠の春秋時代
  • 七雄が争った戦国時代
  • 秦の始皇帝による中国統一
  • 秦の統一政策
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年表

いつできごと
紀元前700年周が都を鎬京から洛邑に移し、春秋時代がはじまる。
紀元前403年晋が3つに分裂して戦国時代がはじまる
紀元前359年秦が「商鞅の変法」を開始して国力をつけはじめる
紀元前247年政が秦王に13歳で測位。前238年から親政をはじめる
紀元前221年秦が戦国七雄の最後の敵、斉を滅ぼして中国を統一

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群雄割拠の春秋時代

王朝・周は反乱で幽王が殺され、都だった鎬京を守りきれずに東の洛邑(現在の洛陽)へ都を移した。

そのあとも周は存続していたが、支配力は弱まり、群雄割拠の春秋時代がはじまった
春秋初期には200もの都市国家があったといわれている。

なかでも、春秋五覇が目まぐるしく勢力を争った

春秋五覇とは、春秋期の五人の覇者。
 斉の桓公(かんこう)・晋の文公(ぶんこう)・楚の荘公(そうおう)・秦の穆公(ぼくこう)・宋の襄公(じょうこう)

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七雄が争った戦国時代

強国の晋が下剋上により、趙(ちょう)・魏(ぎ)・韓(かん)に3分裂し、七雄と呼ばれる7国が覇を争った

7国は、秦(しん)・楚(そ)・魏(ぎ)・韓(かん)・趙(ちょう)・燕(えん)・斉(せい)

国力を増す秦に他の6国は合従策(がっしょうさく)で対抗するが、秦の宰相・張儀(ちょうぎ)によって同盟は分断。

秦の大国化が進んだ。

秦の始皇帝による中国統一

始皇帝の曽祖父・昭襄王(しょうじょうおう)は、約800年続いていた周を滅ぼすなど、ますます版図を広げた。

そして始皇帝が、戦国七雄で敵対する6国を次々と撃破し、200年近く続いた戦国時代は終わらせ、中国を統一した

①韓 滅亡 紀元前230年
 七雄で最弱とみられており、最初の標的となり滅亡

②趙 滅亡 紀元前228年・紀元前222年
 名将・李牧(りぼく)によって一度は秦の猛攻を退けるが、利牧は政変で殺されてしまい、弱体化して滅亡。

③燕 滅亡 紀元前226年・紀元前222年
 政(始皇帝)の暗殺を謀るが失敗。秦の猛攻をうけ都は没落、逃れた王も捕らえられ滅亡。

④魏 滅亡 紀元前225年
 黄河の堰が切られて都を水攻めにされ、3ヵ月もの間、持ちこたえたものの降伏し、滅亡。

⑤楚 滅亡 紀元前223年
 大将軍・項燕(こうえん)の抗戦もむなしく滅亡。項燕は秦の滅亡後に天下を争う項羽の先祖。

⑥斉 滅亡 紀元前221年
 最後に残った大国。多くの高官が秦から賄賂をもらっており、ほぼ戦うことなく国を明け渡して滅亡。

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秦の統一政策

中国大陸を統一した始皇帝は、それまで各国でバラバラだったものを統一していった。

この統一事業を通じて、始皇帝の権威は全国各地に広まり、皇帝の影響力を多大なものにしていった。

①貨幣の統一
 戦国時代は各国独自の貨幣が流通していたが、始皇帝はこれを半両銭(はんりょうせん)に統一

②度量衡(どりょうこう)の統一
③文字の統一
 度量衡とは度=長さ、量=体積、衡=重さのこと。
始皇帝は各地で形も大きさもバラバラだった枡や秤(はかり)の大きさを定め、各地に配った。
さらに、各国で異なっていた文字も統一。
この始皇帝が定めた文字が発展していき、のちの漢字となる。

④思想の統制「焚書(ふんしょ)・坑儒(こうじゅ)」
 秦の記録や医薬・占い・農業書を除く書籍は焼かれた。
また、始皇帝は自分を批判する儒者たちを生き埋めにした。

まとめ

今回の内容をまとめると

  • 周の支配力が弱まり、春秋五覇が目まぐるしく勢力を争う群雄割拠の春秋時代がはじまった。
  • 強国の晋が3分裂し、七雄と呼ばれる7国が覇を争った。国力を増す秦に他の6国は合従策(がっしょうさく)で対抗するが、秦によって同盟は分断する。
  • 秦の始皇帝が、戦国七雄で敵対する6国を次々と撃破し、200年近く続いた戦国時代は終わらせ、中国を統一。
  • 中国大陸を統一した始皇帝は、各国でバラバラだったものを統一し、始皇帝の権威は全国各地に広まった。


ではまた、ごきげんよう。

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