春日局 下働きから大奥のラスボスへの出世 楽しい日本史 -偉人編- 21

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徳川家光の乳母(めのと)として知られる春日局

その春日局がどのように生まれ、どのように大奥のラスボスのポジションを得たのかが気になる。

そこで、今回の内容はこちら

  • 春日局の生まれや育ちは?
  • 春日局はどうやって3代将軍・家光の乳母になったのか
  • 春日局の大奥のラスボスへ
  • 春日局の失敗話
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春日局の情報

時代江戸時代
身分乳母、将軍様御局
出身地兵庫
別名(本名)斎藤福
生没年1579年~1643年
保険コネクト

春日局の生まれや育ち

幼少期

春日局は、明智光秀に仕えるエリート武家のお嬢様としてうまれた。

しかし、3歳のときに、明智光秀が本能寺の変を起こし、父親が殺されてしまう
そこから、ハードな人生をおくることになった

下働きと結婚

春日局はお嬢様のプライドをすてて、公家の家の下働きになった

その後、結婚し、やっと幸せをつかんだのだが。
今度は、夫が無職になってしまった

種類3

春日局はどうやって3代将軍・家光の乳母になったのか

家光の乳母募集に応募

結婚生活もうまくいかない。
そんなときに、ちょうど2代将軍徳川秀忠の子・家光が生まれ、乳母(めのと)が募集された

春日局は「夫がダメなら自分が稼ぐ」と採用試験に挑戦し、見事合格!

家光を将軍に

見事に乳母になることに成功したが、家光は病弱でかわいくもなく、人気はイマイチ
そこに元気でかわいい弟・国松がうまれてしまい、家光は後継ぎ候補から外されそうになってしまう。

これまでハードな人生を切り抜けてきた春日局は強かった
絶対権力をもつ家光の祖父・家康にこっそり会いに行き直に「次期将軍は家光に」という約束をとりつけてしまう。

春日局の大奥のラスボスへ

将軍様御局

春日局の活躍で家光は将軍となり、春日局は一気に出世し、将軍の総合プロデューサーのような役割である将軍様御局(しょうぐんさまみつぼね)となる

大奥のはじまり

将軍となった家光にはひとつ問題があった。
それは、全然女性に興味がない。むしろ、男性の方が好きだった。

将軍の後継ぎがいないと困るので、春日局はボーイッシュなお振という美少女に男装させて家光に近づけた。
お振は無事に家光の心を射止めるが、長女を出産してすぐに亡くなってしまう。

これ以降、春日局は将軍好みの女性を次々にスカウトして集めてきた。
これが大奥のはじまりとなっていった。

大奥の頂点へ

大奥には将軍以外の男性は立入禁止のおきてを定め、大奥にいる女性にはランクがつけられた。

トップが御台所(みだいどころ)、次が側室(そくしつ)たち、その下が世話係の奥女中。
身分の高い奥女中は女性のあこがれであり、時には将軍に意見をすることもあった。

春日局は、その奥女中の頂点に君臨した。

春日局の失敗話

門限ルールを破る

春日局が自分で作った門限ルール「午後6時以降は絶対門を出入りさせない」があった。
しかし、この門限に自分が遅れてしまう事件が発生。

日頃からみんなに厳しくルールを守らせてきたため、春日局とて特別扱いしたら示しがつかない
そのため、門番から「ルールですから・・・」と容赦なく閉め出され、寒いなか門の前で野宿するはめになった。

まとめ

今回の内容をまとめると

  • 春日局は明智光秀の仕える武家のお嬢様として生まれ育った
  • その後結婚するが、結婚生活はうまくいかず、家光の乳母募集に応募して合格する
  • 家光を将軍にすることに成功し、将軍様御局となり、家光の後継ぎのことも考えて大奥の基礎をつくる
  • 春日局は、大奥の頂点に君臨したが、自ら作ったルールでも破った時には罰を受けた

偉人に興味を持ち、その人物軸で時代背景や文化、歴史についても興味が持てればもっと楽しく学べると思う。

ではまた、ごきげんよう。

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