織田信長 大うつけから第六天魔王と自称して天下統一を目指した 楽しい日本史 -偉人編- 15

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室町幕府を滅ぼし、天下統一を目指した織田信長についての以下のような疑問を学習する記事。

  • 織田信長は何をした人?
  • 織田信長は本当はどんな人?

織田信長の情報

時代戦国~安土桃山時代
身分尾張守護大名、天下人
出身地愛知
別名うつけ、第六天魔王
生没年1534年~1582年

時代背景

室町幕府衰退から戦国時代のはじまりについてはこちらの記事をどうぞ

東海・近畿地方の変遷

戦国時代の東海・近畿地方の変遷についてはこちらの記事をどうぞ

織田信長のすごさ

桶狭間の戦いでの勝利

信長は18才で織田家を継ぐとつぎつぎと戦にかって尾張を統一。27才のとき桶狭間の戦いでわずか、2500の兵で10倍の2万5000の今川義元軍に大勝利。華麗な全国デビューをした。

足利義昭を将軍

勢いにのった信長は、足利義昭に「協力したら将軍の座につかせるようにする」と近づき、義昭を15代将軍にした。

室町幕府滅ぼした

義昭が信長に対立姿勢を見せると、信長は義昭を追放し、室町幕府を滅ぼしてしまう。

西洋文化の吸収と経済政策

西洋文化を柔軟に吸収し、経済政策などをつぎつぎと実施した。詳しくはこちらの記事をどうぞ。

是非に及ばず

信長が49才のとき、本能寺の変で信長が急死する。本能寺に火をつけられて逃げ場を失っても、信長は堂々としたものだった。そして、「是非に及ばず」とつぶやくと、侍女たちを逃がして自分は静かに切腹した。

織田信長ってじつは・・・

大うつけ

信長は織田家の長男としてうまれるが、きびしい父に反抗して悪い仲間たちと遊んでばかりでうつけと呼ばれた。無造作ヘアで、着物は半脱げ、短い袴の腰にひょうたんをぶらさげ、餅や柿を立ち食いしなが町中をだらだら歩いていた。

うつけの卒業

父親の葬式でも信長はいつものスタイルを貫き、うつけファッションで登場し、位牌にお香をなげつけた。それを見た世話係のじいやが責任を感じて切腹してしまった。さすがの信長も反省し、うつけを卒業したそう。

第六天魔王

信長が38才のとき、自分にはむかった延暦寺を焼き討ちにし、女、こどもを含めて何千人も殺害した。その残虐さに武田信玄が信長に怒りの手紙を送るが、信長はその返信に「第六天魔王 信長」と署名した。第六天魔王とは、仏教の敵の悪魔のことで、第六天魔王なのだから仏など怖くない。という意思が込められていた。

あとがき

偉人に興味を持ち、その人物軸で時代背景や文化、歴史についても興味が持てればもっと楽しく学べると思う。

戦国大名の台頭についてはこちらの記事。

世界の大航海時代が日本にもたらした影響についてはこちらの記事。

ではまた、ごきげんよう。

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