戦国時代の東海地方・近畿地方 楽しい日本史 -戦乱と泰平の世へ- 21.

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戦国時代の東海地方、近畿地方の変遷
東海地方では織田信長が今川家を滅亡してどんどん躍進した。近畿地方では細川政元から三好長慶と実権が移っていく。覇権をめぐって争いが激化している様子はこれぞ戦国時代

ポイント

  • 東海地方はどうなっていた
  • 近畿地方はどうなっていた
  • 織田信長の躍進
  • 細川政元の活躍
  • 三好長慶の活躍
  • 信長躍進の包囲網

年表

いつできごと
1493年細川政元が将軍・足利義材を追放(明応の政変)
1560年桶狭間の戦いで、信長が今川義元を討ち勝利する
1565年織田信長が尾張を統一し、勢力を強めていく
1568年信長が足利義昭を奉じて上洛を果たし、京を制圧
1569年60年に起きた桶狭間の戦いの影響で今川家が滅亡する
1570年姉川の戦いが起こり、織田軍と、朝倉・浅井連合軍が交戦する

東海地方の変遷

東海地方のもっとも有力な武将といえば織田信長だが、織田家はもともと、尾張の小さな地方豪族だった。信長が家督を継ぐと、駿河の今川家、美濃の斎藤家など、対立していた周辺の有力な戦国大名たちと戦い、勝利をおさめた。

今川家の勢力拡大(1545年頃)

信長の父・信秀は、駿河の今川義元と対立していた。のちに徳川家康が当主となる松平家は、今川家に服従を余儀なくされていた。この当時東海地方の覇権は今川義元がにぎっていた。

信長と諸国の対立(1559年頃)

信長が家督を継ぐと、義元との間で桶狭間の戦いが起こった。奇跡的な勝利をおさめた信長は、躍進をはじめた。斎藤道三が手中におさめていた美濃は、道三の孫・龍興の時代に信長に奪われた。

今川家滅亡と徳川家の台頭(1569年頃)

今川家の人質だった徳川家康は、今川家が滅亡したため信長と同盟を結び(清洲同盟)、少しずつ勢力を拡大していった。一方、信長は、京に意識を向けつつ、家康の協力を得ながら、武田軍と対立を深めていった。

近畿地方の変遷

応仁の乱は、勝者がはっきりしないまま終わりを迎えたため、京の都では戦が続いた。最初は細川政元がクーデターを起こして政権を掌握したものの、政元の孫・晴元の時代に三好長慶の下剋上によって、今度は三好家に実験が移った。

明応の政変と細川政権(1493年頃)

細川政元のクーデターで、政権は細川家のものになった。しかし、細川家のなかでも権力をめぐって内紛が起きる。周辺にはさまざまな勢力があり、次の覇権をめぐってにらみ合いがつづいていた。

三好家の台頭と揺れる情勢(1559年頃)

細川政元の家臣だった三好長慶は、権力をにぎった。しかし、長慶もまた家臣である松永久秀に権力を奪われてしまう。その周辺で、六角家、浅井家、朝倉家などが勢力をのばしていった。

信長上洛と対抗勢力(1568年頃)

三好家と六角家ははじめ争っていたが、織田信長が躍進をはじめると共闘した。一方、浅井・朝倉の両家は、織田家との中央政権の様子を見て、一度は織田家と同盟を組んだものの、のちにこれを破棄した。

あとがき

日本史の流れを大まかに学ぶことで、人物名や年号を覚えることでどこかつまらないと感じていた歴史をもっと楽しく学べると思う。

ではまた、ごきげんよう。

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