大航海時代が島国ジパングにもたらした影響 楽しい日本史 -戦乱と泰平の世へ-

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世界は大航海時代となり、黄金の国と呼ばれた日本には西洋文化やキリスト教が伝来し、戦や人々の信仰に影響していく。

ポイント

  • 大航海時代とは
  • 黄金の国ジパング
  • 鉄砲伝来の影響
  • キリスト教伝来の影響
  • キリシタン大名
  • バテレン追放令

大航海時代

15~16世紀にかけて、ヨーロッパでは航海術が飛躍的に発達した。そうしてアメリカ大陸が発見されたり、インド航路が開拓されたりしていた。この時代を「大航海時代」という。ヨーロッパの冒険家たちは、アジアへの進出を試み、極東の島国ジパングに興味を抱くようになった。彼らは貿易やキリスト教の布教を目的としていた。西洋文化と出会った戦国武将たちは影響を受けていくことになる。

プロテスタントとイエズス会

16世紀に起こった宗教改革によってキリスト教にはプロテスタントという新しい宗派がうまれた。この台頭を受け、ローマカトリック教会の力は弱まっていった。イエズス会はこうした宗教対立を背景に、キリスト教、なかでもカトリックの信仰を世界中に布教しようとした。

日本がなぜ黄金の国と呼ばれたか

冒険家マルコ・ポーロが著書「東方見聞録」で、日本を「莫大な黄金を持つ島国」と紹介したことから、日本は「黄金の国ジパング」と呼ばれるようになった。

西洋文化の影響

鉄砲伝来(1543年)

ヨーロッパで発明された鉄砲。一説によると日本伝来は1543年のことで、鹿児島県の種子島に漂着したポルトガル人が伝えた。伝えられた鉄砲には火縄式の点火装置がつけられており、火縄銃、火縄筒と呼ばれた。鉄砲伝来は、それまでの戦術を一変させ、鉄砲は戦に不可欠な武器となり、国内で生産されるようになった。

戦術の変化

当時の鉄砲は、一発撃つと弾をこめ直すなどの作業が必要で、連射をすることはできなかった。そのため、これまで1対1の戦いから、たくさんの鉄砲を使った集団戦法が発達した。また、戦のときだけ戦いに参加した農民を、鉄砲専門の足軽鉄砲隊として専属登用するなど変化もあった。

キリスト教伝来(1549年)

それまでの日本人の宗教観は、神道と仏教の神々や信仰が混ざり合う「神仏習合」だった。キリスト教は唯一神を信仰する一神教。教えの内容や宗教画なども、当時はめずらしく、多くの人が改宗した。改宗した人々を「切支丹」(キリシタン)と呼び、改宗した戦国大名はキリシタン大名といわれた。貿易のために改宗した大名もいたが、心からキリスト教を信仰した人物もいた。

文化への影響

西洋の文化は、日本になじみのないものばかりだった。キリスト教の思想や最先端の科学、ほかにも、たばこ、ガラス、繊維などが輸入された。こうしたものは、人々の生活の中に少しずつ取り入れられていった。この時代に華開いた文化を「安土桃山文化」といい、多分に西洋文化の影響をうけていた。

キリシタン大名

大名受洗年洗礼名
大村純忠1563年バルトロメオ日本初のキリシタン大名。領地の備前三城城の城下では多くの人がキリシタンとなり、貿易地として栄えた
高山右近1563年ジュスト文化人としても有名。禁教令のあと棄教を拒否した右近は、マニラに渡り死去
小西行長1584年以前アグスチノ豊臣家の家臣。関ヶ原の戦いのあと、自殺を許さないキリスト教の教えを守り斬首となる
大友宗麟1578年フランシスコフランシスコ・ザビエルに出会い、キリスト教に帰依。教えを守る一方で、神社仏閣を破壊するなどした。
蒲生氏郷1585年レオン大阪で宣教師オルガンティノに洗礼を受ける。多くの家臣や領民に慕われた武将
黒田如水1583年シメオン高山右近、蒲生氏郷らの勧めを受けてキリスト教に帰依。如水の葬儀はキリスト教式で行われた

バテレン追放令以降

キリスト教伝来とともに、日本にも多くの信徒がうまれたが、豊臣秀吉の時代に入り、1587年に宣教師を国外追放とする、バテレン追放令が出される。この時、26人の外国人宣教師や日本人のキリスト教徒が長崎で殉教した。以降、少しずつキリスト教徒は迫害されるようになる。江戸時代に入り、規制は厳しくなり、一部の信徒は隠れキリシタンとなって信仰を隠して暮らすようになった。西洋の学問や思想も、江戸時代に入るときんしされるようになる。西洋文化が再度人々の間で親しまれるようになるのは明治時代となる。

あとがき

日本史の流れを大まかに学ぶことで、人物名や年号を覚えることでどこかつまらないと感じていた歴史をもっと楽しく学べると思う。

ではまた、ごきげんよう。

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