寺で働いていたが、天下分け目の関ヶ原の戦いで徳川家康と対立した石田三成についての以下のような疑問を学習する記事。
- 石田三成は何をした人?
- 石田三成は本当はどんな人?
石田三成の情報
時代 | 安土桃山時代 |
身分 | 武将 |
出身地 | 滋賀 |
別名 | さいづち頭 |
生没年 | 1560年~1600年 |
時代背景
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東海・近畿地方の変遷
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石田三成のすごさ
寺の下働きから秀吉の家臣へ
お寺で下働きをしていた石田三成は、突然寺にきた秀吉に絶妙な湯加減のお茶を出したことで気に入られ、その場で秀吉の家臣に引き立てたられた。
全てを捧げて豊臣家を守ろうとした
三成は自分を見出してくれた秀吉への恩を生涯忘れなかった。秀吉の死後、力を増した徳川家康に多くの武将が味方をしても、三成はずっと秀吉の息子・秀頼の味方をした。とうとう両者は関ヶ原の戦いで対決することになり、三成は敗北し、処刑された。三成の城が落ちたとき、蔵の財産はすでにすっからかん。三成は財産のすべてを費やして、豊臣家を守ろうとしたのだった。
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石田三成ってじつは・・・
徳川家康が大嫌い
三成は徳川家康よりも身分が下だったが、大好きな豊臣家の権力を狙う家康が心底嫌いだった。ある工事現場で、三成が浅野長政と焚火にあたっていると、家康がやってきた。長政は三成に「頭巾をとって挨拶しろ」といったが、三成は何事もなかったように無視。あせった長政は三成の頭巾をとり、焚火に投げ入れたが、三成は無視しつづけた。
徳川家康が大嫌い その2
また別の日、三成が落とした杖を、家康が拾ってくれた。しかし、三成はやっぱりまた無視。「ありがとう」の感謝も伝えなかった。計算高い徳川家康と頭はいいが子供っぽい石田三成。そんなところから人望に差がついてしまい、関ヶ原の戦いでの結果につながったのかもしれない。
あとがき
偉人に興味を持ち、その人物軸で時代背景や文化、歴史についても興味が持てればもっと楽しく学べると思う。
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ではまた、ごきげんよう。