越後を統一して「越後の龍」と呼ばれた上杉謙信についての以下のような疑問を学習する記事。
- 上杉謙信は何をした人?
- 上杉謙信はどんな人?
- 上杉謙信のすごいところ
上杉謙信の情報
時代 | 戦国時代 |
身分 | 越後守護大名 |
出身地 | 新潟 |
別名 | 越後の龍 |
生没年 | 1530年~1578年 |
時代背景
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関東甲信越の変遷
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上杉謙信のすごさ
お坊さんから武将へ
子ども時代はお坊さんとして育てられていた。ところが、越後を継いだ兄の晴景には政治の才能がなく、反乱がおきた。そこで、わずか14才の謙信が武将として登場し、謙信はたちまち反乱をしずめ、家を継ぐことになった。
戦の勝率9割以上
謙信は生涯で70回も戦にをし、その勝率は9割以上だったと言われている。
義の男
謙信は戦だけでなく正義感も強い人だった。困っている国があれば援軍を送り、ライバルの武田信玄が塩不足で困っていたときでさえ、塩を送ってあげたという。
武田信玄からも信頼
謙信と信玄が対決した「川中島の戦い」は決着がつかなかったが、信玄は息子に「わたしの死後は上杉を頼れ」と遺言するほど、謙信を信頼していた。
武田信玄についての詳細はこちらの記事をどうぞ。
上杉謙信ってじつは・・・
越後のことはあまり考えていない!?
もともとお坊さんだった謙信は、野心がなく、他国のことは積極的に助けたが、越後の将来は深く考えていなかったようだ。
生涯結婚せず
謙信は生涯結婚しなかった。そのかわり、後継ぎ候補として甥の景勝と北条家の景虎を養子にした。しかし、謙信はどちらを後継ぎにするか決めないまま死んでしまった。そのため、景勝と景虎は、ドロ沼の内乱のすえに景勝が勝利して家を継いだ。
謙信の意外で恥ずかしいさいご
後継ぎもまだ決めていないなか、49才のとき、寒いトイレでうんこをキバりすぎて脳の血管が破裂して急死した。なんということか。
あとがき
偉人に興味を持ち、その人物軸で時代背景や文化、歴史についても興味が持てればもっと楽しく学べると思う。
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ではまた、ごきげんよう。