日露戦争後、大正時代の日本での社会変化を大正デモクラシーと呼んだ。
この大正デモクラシーについて「大正デモクラシーのはじまり」が気になる。
また、「戦後不況」「政党政治のはじまり」「普通選挙のはじまり」「大正時代の文化」についても学んでいきたい。
そこで、今回の内容はこちら
- 大正デモクラシーのはじまり
- 戦後不況
- 政党政治のはじまり
- 普通選挙のはじまり
- 大正時代の文化
年表
いつ | できごと |
---|---|
1915年 | 第一次世界大戦の影響で日本は大戦景気になる |
1916年 | 吉野作造が「民本主義」を提唱し、大正デモクラシーがはじまる |
1918月 | シベリア出兵で大不況に。怒った民衆による米騒動が勃発 |
1918年 | 平民出身の原敬が首相となり、政党政治がはじまる |
1921年 | 原敬が東京駅で暗殺される |
1923年 | 関東大震災が発生。首都東京は大混乱に |
1925年 | 普通選挙法により、25歳以上の男性に選挙権が認められる |
1925年 | 治安維持法が制定され、言論の自由が制限される |
大正デモクラシーのはじまり
日露戦争後の日本では、政党と藩閥(昔の薩摩藩や長州藩の出身者たち)や官僚のグループが、交代で政治を行っていた。
しかし、大正時代になると国民の多数の意思が反映される政治を望むという考えの「民本主義」の動きが強まり、藩閥・官僚が支持する内閣が、政党を支持する人たちの反対運動で倒されたりした。
この社会の変化を大正デモクラシーという。
戦後不況
第一次世界大戦による好景気は終戦後もしばらく続いた。
しかし、1920年頃には景気が悪化しはじめ、たくさんの銀行や企業が倒産した。
また、日本がシベリアに出兵すると、戦争で米が値上がりすると考えた商人が米を買い占めた。
これにより米不足に悩まされた主婦が商人に抗議する米騒動が起こった。
政党政治のはじまり
1918年、メンバーの大半が政党の党員という原敬内閣が成立。
日本発の本格的な政党内閣とされている。
原敬は爵位を持たない平民として初めての首相となった。
■原敬内閣の改革
・大学令
公・私立大学の設立を認めた
・交通整備
鉄道省を設置し、鉄道を整備
・選挙の改訂
選挙資格の納税額を下げた(10円から3円へ)
普通選挙のはじまり
1925年普通選挙法により、納税金額に関係なく、25歳以上の男性なら誰でも選挙に参加できるようになったが、女性の選挙権は認められなかった。
また、治安維持法が制定され、社会主義の取り締まりが目的だったが、自由主義的な思想や宗教も弾圧され、大正デモクラシーの衰退がはじまった。
大正時代の文化
大正時代になると、都市部ではサラリーマンや社会に進出する女性が増え、洋服や洋食などの西洋文化が広まった。
教育水準の向上による雑誌や本の普及、ラジオ放送や電話などの技術が進歩し、人びとに政治意識や娯楽をもたらした。
まとめ
今回の内容をまとめると
- 大正時代、国民の多数の意思が反映される政治を望むという考えの「民本主義」の動きが強まり、政党を支持する人たちの反対運動で藩閥・官僚が支持する内閣を倒すなど、大正デモクラシーとよばれる社会変化がおきた。
- 第一次世界大戦による好景気は終戦後もしばらく続いたが、1920年頃には景気は悪化。また、日本がシベリアに出兵による米の値上がりを警戒した商人が米を買い占め、米不足に抗議する米騒動が起きた。
- 1918年、平民として初めての首相・原敬がメンバーの大半が政党の党員という日本発の本格的な政党内閣を成立。
- 大正時代は、都市部ではサラリーマンや社会進出する女性が増え、西洋文化が広まった。
また、教育水準の向上により人びとに政治意識や娯楽をもたらした。
ではまた、ごきげんよう。