11年も続いた応仁の乱と室町幕府・将軍家の衰退 楽しい日本史 -武士による支配- 18.

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11年続いた応仁の乱と室町幕府の衰退。応仁の乱は相続争いが重なって起きていた。
応仁の乱は有名で、知ってはいたが、正直内容をしらなかった。たしかに複雑なのでなかなか覚えるのが難しいと感じる。だが、この乱が戦国時代につながる大きな出来事には間違いない。

ポイント

  • 室町幕府のゆらぎ
  • 応仁の乱は後継・相続争いの重なり
  • 応仁の乱は誰と誰の戦い

年表

いつできごと
1455年堀越公方と古河公方の間で享徳の乱が起こる
1467年8代将軍・足利義政の後継者争いなどから応仁の乱がはじまる
1477年大内政弘が東軍に降伏し、応仁の乱が終息
1485年山城の国一揆が起こり、守護の畠山氏が追放される
1486年京都で徳政一揆が発生
1488年加賀の一向一揆が起こり、本願寺が加賀を自治するようになる
1495年北条早雲(伊勢盛時)、小田原城を奪う

おもな登場人物

室町幕府の衰退

8代将軍・足利義政の時代、将軍の後継者争いと、畠山氏と斯波氏の家督争い、細川勝元と山名宗全の権力争いが重なり、応仁の乱が起きた。戦乱は全国に広がり、朝廷や幕府を頂点とする伝統的な秩序が崩れ、守護大名に代わって戦国大名が独自に領国を支配する戦国時代が到来した。

関東の荒廃

享徳の乱(1455~1483年)

室町幕府は鎌倉府を置いて東国を支配した。鎌倉公方(鎌倉府の長官)・足利成氏は、関東管領(公方の補佐役)・上杉憲忠を暗殺し、幕府の追討をうけて古河(茨城県)に逃れ、古河公方になった。その後、幕府から派遣された足利政知が堀越公方となり古河公方と争った。

応仁の乱の推移

11年も続いた応仁の乱の推移。関東を戦乱の世にした享徳の乱も応仁の乱の原因のひとつだと言われている。

はじまり

足利義教の独裁政治

3代将軍・足利義満が室町幕府の最盛期を築き、しばらく安定するが、6代将軍・足利義則が独裁政治を行い、公家や武家を弾圧した。そのため、有力守護の赤松氏に暗殺された。(嘉吉の乱)

畠山氏・斯波氏の相続争い

将軍の権威が弱まり、管領の畠山氏は畠山義就と政長、斯波氏は斯波義康と義敏でそれぞれ相続争いが激化。

細川勝元 VS 山名持豊

同じころ、幕府首脳の細川勝元と山名持豊(宗全)の権力争いも起こった。

足利将軍家の後継者争い

8代将軍・足利義政は子供がいないため、弟の足利義視に跡を継がせようとし、義視はもともと僧だったが、還俗した。ところが、義政が義視を次期将軍候補とした直後に足利善尚が誕生する。そのことから足利善尚と義視の対立関係となった。

西軍と東軍に分かれて争い

西軍東軍
勢力約11万約16万
大将山名持豊細川勝元
足利家後継者争い足利善尚足利義視
畠山氏相続争い畠山義就畠山政長
斯波氏相続争い斯波義康斯波義敏
参戦大内政弘

乱の流れ

御霊合戦 1467年1月 京都

畠山家の後継ぎ問題が勃発、西軍・義就が勝利

上京の戦い 1467年5月 京都

東軍の勝元が躍進し、西軍の斯波義康と衝突。東軍・細川勝元が勝利

大内政弘 上洛 1467年8月 京都

各地で東軍を破りながら大内政弘が京都に上洛。数万の軍勢を引き連れて西軍優勢に

相国寺の戦い 1467年10月 京都

東軍・西軍とも一進一退。足軽の乱暴狼藉も増え、社会不安が広がる。

足利義視 西軍の将軍に 1468年11月 京都

将軍候補の足利義視、東軍から出奔。西軍の将軍にまつりあげられる。戦いが全国に広がる。

山名持豊 死去 1473年2月

細川勝元 死去 1473年5月

山名氏と細川氏 和睦 1474年4月

畠山義就 京都から河内へ 1477年9月

大内政弘 東軍に降伏 1477年11月

応仁の乱が終結し、下剋上の戦国時代へ。
将軍の権威は失墜、畠山氏・斯波氏も没落

国人が一揆で守護に反乱

応仁の乱では、守護が自分の領地を留守にして京都で戦った。領地では守護の家臣だった守護代や国人が力をつけ、守護を倒すこともあった。また争乱から地域を守るため、地侍や農民、本願寺門徒が一揆を起こし、守護の支配を退け、自治を行うこともあった。

山城の国一揆(1485年)

応仁の乱のきっかけになった山城の守護・畠山氏の内紛は、乱の後も続いた。戦場となった山城国南部の国人や農民は団結して畠山氏を追い出し、「三十六人衆」と呼ばれる国人たちが8年間自治を行った。

加賀の一向一揆(1488年)

一向宗の勢力を背景とする一揆。加賀で強大になった本願寺門徒が国人と結んで守護の富樫氏を倒し、加賀国は100年あまりの間、本願寺が支配した。

地方の自立と民衆活動

荒廃した京の都から貴族や僧が地方に逃れ、文化が全国に広がった。新しい文化や経済活動がうまれ、地方の勢力が力を蓄えていった。

日明貿易で栄えた山口

大内氏は京文化を山口に再現しようと、水墨画を確立した雪舟や連歌師の宗祇など、多くの文化人を招いた。

関東管領・上杉憲実の足利学校

一説では奈良時代創建ともいわれる日本最古の学校。全国から多くの学生が集まり、宣教師フランシスコ・ザビエルによって世界中に紹介された。

農民たちの団結と自立

荘園や公領の支配から逃れ団結。惣村をつくり、収穫高を上げ、力をつけた。

活発になる経済活動

貨幣の流通により金融業もさかえ、商人たちは同業組合の座を結成、市を開いた。

地方の名産

備前の刀剣、尾張の陶器、加賀の絹織物、美濃和紙、京都の西陣織や宇治茶などの特産品がうまれた。

広がる文化

連歌や御伽草子、盆踊がうまれた。仏教は曹洞宗や日蓮宗、浄土真宗が広まった。

あとがき

日本史の流れを大まかに学ぶことで、人物名や年号を覚えることでどこかつまらないと感じていた歴史をもっと楽しく学べると思う。

ではまた、ごきげんよう。

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