農民から武将になり、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉についての以下のような疑問を学習する記事。
- 豊臣秀吉は何をした人?
- 豊臣秀吉は本当はどんな人?
豊臣秀吉の情報
時代 | 安土桃山時代 |
身分 | 太政大臣 |
出身地 | 愛知 |
別名 | サル、はげねずみ |
生没年 | 1537年~1598年 |
時代背景
室町幕府衰退から戦国時代のはじまりについてはこちらの記事をどうぞ
東海・近畿地方の変遷
戦国時代の東海・近畿地方の変遷についてはこちらの記事をどうぞ
豊臣秀吉のすごさ
貧しい身分からサムライへ
まずしいうまれの木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)は、母親の再婚相手にいじめられ「絶対に偉いサムライに俺はなる!」と13才で家を飛び出し、織田信長の家来となった。
人たらし
何ももたずに生まれた秀吉は、人の心とチャンスを手に入れるための努力を惜しまなかった。有名な話だが、寒い日にふところで温めたぞうりを信長に差出し、信長は感心して秀吉を気に入るようになった。
偉くなるため
偉くなるため、秀吉は信長の役に立とうと必死で頑張った。10日間で18個の城を落としたり、味方に裏切られて絶体絶命な信長を戦場から逃がしたり、死に物狂いで戦った。
中国大返し
信長が明智光秀に本能寺の変で倒されたときには、備中(岡山)にいた秀吉は、10日間で200キロを走り抜ける中国大返しをやってのけて明智光秀を討ち取った
信長の登場から本能寺の変までについての記事はこちら
秀吉の天下人までの解説記事はこちら
織田家の実権を握る
信長の仇を討ったことにより発言力を増し、わずか2才の信長の孫・三法師を擁立することで織田家の実権を手にした。
天下統一
その後、すべての戦国大名を家臣にした秀吉はとうとう天皇の次に偉い関白の位を与えられ、信長にもできなかった天下統一をなしとげた。
豊臣秀吉ってじつは・・・
サルじゃなくて”はげねずみ”
ドラマや小説などでは秀吉は”サル”というあだ名で呼ばれている。実際、秀吉に会った朝鮮の使者は「サルにそっくり」と書いているし、肖像画もサルに似ている。でも、実は信長は「はげねずみ」というさらにひどいあだ名で秀吉を呼んでいた。信長が秀吉の妻・ねねに送った手紙に書いてある。
浮気癖
出世した秀吉は浮気するようになり妻・ねねが信長に相談するほどだった。信長からも諭されるが、浮気はおさまらず、信長の死後には信長のめいの茶々を側室にしてしまう。
豊臣家の将来への不安と暴走
秀吉の後継ぎは茶々と間の嫡男・秀頼ただ一人。その秀頼を守るため、秀頼の邪魔になりそうな甥を家族ごと皆殺しにしたり、日本だけでなく朝鮮も制服しようとしたりと無茶苦茶してしまう。その結果、家臣に不信感を与えたまま、病気で死んでしまう。
あとがき
偉人に興味を持ち、その人物軸で時代背景や文化、歴史についても興味が持てればもっと楽しく学べると思う。
戦国大名の台頭についてはこちらの記事。
世界の大航海時代が日本にもたらした影響についてはこちらの記事。
ではまた、ごきげんよう。