平安京へ遷都し、奈良仏教から平安仏教への改革を行う。
道鏡事件のように僧の勢力に脅かされることを警戒した気持ちがよく分かるし、立地へのこだわりがすごい。
ポイント
- 平安京に遷都した理由
- 初の征夷大将軍
- 仏教改革
- 藤原氏の勢力拡大
- 日本独自の文化
年表
いつ | できごと |
---|---|
784年 | 長岡京へ遷都。しかし事件が相次ぎすぐに放棄される |
794年 | 平安京へ遷都。以後1000年以上、都となる |
797年 | 坂上田村麻呂、征夷大将軍に任命され蝦夷征伐を行う |
897年 | 醍醐天皇が親政を行う。「延喜の治」と呼ばれる |
901年 | 昌泰の変で菅原道真が大宰府に左遷 |
1018年 | 藤原道長、娘3人が中宮となり、権力の絶頂を迎える |
1053年 | 道長の息子・頼道、平等院鳳凰堂を建立 |
おもな登場人物
平安京
桓武天皇は和気清麻呂の進言により、僧の勢力が強い平城京(奈良県)から、長岡京(784年遷都)を経て、794年、平安京(京都市)へと遷都した。
長岡京と怨霊
長岡京造営責任者・藤原種継暗殺事件の容疑者とされた桓武天皇の弟・早良親王は、死後怨霊となり、長岡京に災害や疫病をもたらしたと言われる。怨霊をおそれた桓武天皇はわずか10年で平安京遷都を決意した。
平安京の立地
平安京は、三方を山に囲まれた盆地で、東に川(青龍)、西に大道(白虎)、北に山(玄武)、南に沼地(朱雀)という、占いの風水の四神相応に守られた都だった。
平安仏教
桓武天皇は仏教改革を行う。
貴族社会の展開
次第に藤原氏が力を強めていく。
花開いた国風文化
唐が衰退したため遣唐使の派遣を中止。これにより仮名など、日本独自の優美な文化がうまれた。この10~11世紀の文化を国風文化という。
十二単・衣冠
男子貴族の正装は衣冠と束帯。宮廷の女性は、長袴と単衣の上にうちぎを何枚も重ねた十二単を着た。
あとがき
日本史の流れを大まかに学ぶことで、人物名や年号を覚えることでどこかつまらないと感じていた歴史をもっと楽しく学べると思う。
ではまた、ごきげんよう。