ヒトラーの野望と第二次世界大戦 楽しい世界史 -ヨーロッパの歴史-

EDUCATION

・ヒトラー率いるナチスがドイツを牛耳る
・日本・ドイツ・イタリアが同盟
・第二次世界大戦で日独伊が連合国に敗れる

この第二次世界大戦とヒトラーの野望について、「第一次世界大戦後の概要」「ヒトラーの台頭」、「第二次世界大戦の経緯」に分類して学んでいきたい。

  • 第一次世界大戦後の概要
  • ヒトラーの台頭
  • 第二次世界大戦の経緯
格安航空券モール

保険コネクト

第一次世界大戦後の概要

第一次世界大戦の敗北によって多額の賠償金を負ったドイツは経済が混乱し、国民は不満をためていた。

そうした中でヒトラー率いるナチスが登場した。

ナチス・ドイツは世界を第二次世界大戦へと陥れ、ユダヤ人の大虐殺という犯罪行為を行った。

種類3

ヒトラーの台頭

極右政党である国民(国家)社会主義ドイツ労働党(通称ナチス)を率いたヒトラーは、過激なスローガンと巧みな演説によって国民の支持を集めた。

選挙によって第1党になると、ドイツを牛耳り軍事国家への道を歩む。

1920年 ナチス、活動開始
ヒトラーの主張は国際体制の破壊やユダヤ人排斥など過激なものだった。
「敵」を生み出すことで、不満ためる国民の注目を集めた。

1923年 ミュンヘン一揆
中央政府に対するクーデターを計画するも、暴動は鎮圧されヒトラーは首謀者として逮捕された。
しかし、その後の裁判で自らの考えを主張したことが、ナチスが全国的に認知されるきっかけとなった。

1932年 ナチスが第1党に
ナチスはミュンヘン一揆後に合法路線で支持を拡大し、1932年の選挙でついに第1党になった。
ヒトラーは首相に就任。
ナチス以外の政党は禁止され、独裁体制が確立した。
ナチスのような政治・経済・思想を統制する体制をファシズムと呼ぶ。

1937年 日独伊三国防共協定
ドイツは同じファシズム国家であったイタリアに接近。
さらに日本もいれて3国で反ソ連の同盟を結ぶ。

1938年 ミュンヘン会談
イギリス・フランスはオーストラリアの併合などドイツの領土拡大を問題視したが、ヒトラーはこれ以上の領土要求はしないとウソの主張をした。

第二次世界大戦の経緯

ミュンヘン会談でこれ以上の領土は望まないと主張したヒトラーだったが、それはウソだった。

1939年のポーランド侵攻によって第二次世界大戦がはじまると、ドイツはフランスやソ連などへ侵攻し、ヨーロッパ中が戦場となった。

ポーランド侵攻
ポーランド侵攻に侵攻したドイツに対して英仏が宣戦布告

フランスへ侵攻
ドイツは戦車によって瞬く間にパリへ侵攻し、フランス全土を占領した。

イタリア参戦
ドイツの同盟国・イタリアは北アフリカやギリシアへと侵攻

独ソ戦開始
ドイツは、ソ連を攻めないという約束を一方的に破って侵攻

スターリングラードの戦い
ドイツ軍は破竹の勢いでソ連領を進軍。
しかし、スターリングラードの戦いで敗退し、以降は劣勢に転じた。

ノルマンディー上陸作戦
連合国がドイツ領となっていたフランスに上陸。
この上陸戦は「史上最大の作戦」と呼ばれている。

ベルリン陥落
東西両方の戦線が崩壊。
ヒトラーは自殺し、ドイツは無条件降伏した。

typeの人材紹介


ではまた、ごきげんよう。

タイトルとURLをコピーしました