・ルイ14世のもと絶対王政が最盛期を迎える
・アンシャン=レジームへの不満が高まり、革命が勃発
・共和政が成立し、近代社会成立への転換点に
このフランス革命について、「絶対王政とルイ14世」、「アンシャン=レジーム」、「フランス革命の展開」を学んでいきたい。
そこで、今回の内容はこちら
- 絶対王政とルイ14世
- アンシャン=レジーム
- フランス革命の展開
年表
いつ | できごと |
---|---|
1661年 | ルイ14世がヴェルサイユ宮殿の造営を本格的に開始 |
1685年 | ナントの王令廃止。ユグノーらが亡命し財政が悪化する |
1787年 | ルイ16世が財政改革のため特権階級への課税を提唱するも失敗 |
1789年6月 | 三部会が招集され、第三身分が国民議会設立を宣言する |
1789年7月 | バスティーユ牢獄襲撃。フランス革命がはじまる |
1789年8月 | 人権宣言採択。ヴェルサイユ行進で王家がパリへ移動 |
1793年 | 王政廃止と共和政が宣言され、ルイ16世が処刑される |
1793年 | ジャコバン派による独裁。恐怖政治開始。 |
絶対王政とルイ14世
「朕は国家なり」。国王ルイ14世が言ったとされるこの言葉のとおり、フランスの絶対王政では国王自ら政治をとり行い、絶対的権力をふるった。
ルイ14世はヴェルサイユ宮殿を建造し、侵略戦争をくりかえした。
当然、財政は悪化し、さらに商工業者に多かった新教徒ユグノーの信教の自由を奪い、亡命が続き、国内産業も育たなかった。
アンシャン=レジーム
フランスの絶対王政は国王を頂点に、第一身分の聖職者、第二身分の貴族が特権階級として土地や重職を握り、第三身分の平民を支配する構造となっていた。
これは革命以前の旧制度で、アンシャン=レジームと呼ばれた。
第三身分の平民は農民と市民で人口の90%を占めていた。
■租税・賦役(ふえき)による平民の不満
・対外戦争の赤字
イギリスなどに対抗し侵略戦争に励んだが、結果はふるわず財政を圧迫。
市民は戦力と多額の戦争費を負担し疲弊。
・貴族の豪遊
豪華なヴェルサイユ宮殿の造営費や、貴族の贅沢な暮らしを支える宮廷費は税金から賄われ、市民は苦しい生活を送った。
・啓蒙思想の拡大
旧来の習慣や思想について、経済や道徳を中心に検討し批判する啓蒙思想が学者から拡散。
市民が知識を得て権利を求めはじめた。
フランス革命の展開
貴族の王権への反抗を発端に始まったフランス革命だが、ブルジョワジーは政治上の権利を、都市市民は生活環境の改善を、農民は土地の所有と領主支配の廃止を求めるなど、社会層ごとに別々の思惑があり、複雑な経過をたどった。
■ブルジョワジー
労働者や商工業者など農業以外を仕事にする市民階級は、地主や銀行家などの上層、新工業業者を中心とする中層、労働者や職人などの下層に分けられ、上中層を有産市民ブルジョワ、下層を都市市民といった。
財政改革と国民議会
免税特権の廃止をめぐり、特権階級と対立した第三身分が、憲法制定をめざす国民議会を三部会から分離、結成した。
革命勃発と人権宣言
パンの値上がりに苦しむ市民が貴族を襲撃。
国民議会は特権の廃止を決定し、人権宣言を採択した。
ヴェルサイユ行進と王の逃亡
ヴェルサイユに行進した市民は、王家をパリへ移転させた。
改革を続ける国民議会をしりめに、国王は逃亡事件を起こした。
王政廃止と諸外国の干渉
王権を残し議会政治を望む穏健派を破った強硬派が共和政を樹立し国王を処刑。
フランスは全ヨーロッパを敵に回すことになった。
恐怖政治と解体
共和政を仕切るロベスピエールは、急進的な改革を強行する一方、反対派を処刑。
安定を望む市民のクーデターで失脚した。
まとめ
今回の内容をまとめると
- フランスの絶対王政では国王自らが政治をとり行い、ルイ14世はヴェルサイユ宮殿を建造し、侵略戦争をくりかえした。そのため、財政は悪化し、さらに商工業者に多かった新教徒ユグノーの信教の自由を奪い、亡命が続き、国内産業も育たなかった。
- フランスの絶対王政は国王を頂点に、第一身分の聖職者、第二身分の貴族が特権階級として土地や重職を握り、第三身分の平民を支配する構造となっていた。
- 貴族の王権への反抗を発端に始まったフランス革命は、第三身分のなかでも上層・中層であるブルジョワジーは政治上の権利を、下層である都市市民は生活環境の改善を、農民は土地の所有と領主支配の廃止を求めるなど、社会層ごとに別々の思惑があり、複雑な経過をたどった
ではまた、ごきげんよう。