戦国時代の東北地方、関東甲信越地方の変遷
東北地方では伊達政宗の大きく躍進、北条早雲の下剋上から北条氏康、武田信玄が台頭してくる。みんなが大好きな勉強しがいのある戦国時代
ポイント
- 東北地方はどうなっていた
- 関東甲信越地方はどうなっていた
- 伊達政宗の活躍
- 北条氏康は鎌倉幕府執権の北条じゃない
- 武田信玄の活躍
- 上杉謙信の活躍
- 織田信長の台頭
年表
いつ | できごと |
---|---|
1493年 | のちの北条早雲が堀越公方と交戦する(堀越居館の戦い) |
1546年 | 北条氏綱が川越城の戦いで勝利し、上杉家と古河公方が衰退 |
1554年 | 今川・北条・武田の三家が甲相駿三国同盟を結ぶ |
1568年 | 武田信玄による駿河侵攻がはじまり、勢力を拡大 |
1585年 | 人取橋の戦いで、伊達政宗が佐竹・蘆名連合軍を破る |
1589年 | 摺上原の戦いで政宗が蘆名家を滅ぼすが、豊臣勢力に圧される |
1575年 | 長篠の戦いが起こり、武田軍が織田軍に大敗 |
おもな登場人物
東北地方の変遷
国人同士の戦いが続いていた東北地方では伊達稙宗が大躍進。しかし、息子の晴宗と対立して周辺諸国も巻き込んだ天文の乱が起こる。勝利した晴宗は、今度は息子の輝宗と対立。この隙にほかの大名家が力をのばしていった。
複数の大名家が対立(1493年頃)
伊達家は2代続く内紛のため、弱体化していた。最上家は、なかば伊達家の家臣として扱われていたが、伊達家の内紛を機に独立。勢力図は旧家と新しい戦国大名が入り乱れる状態になる。
伊達家の躍進と領土拡大(1585年頃)
伊達家の失地回復を狙ったのが伊達政宗。18歳で家督を継いだ政宗は、佐竹、蘆名、畠山といった周囲の勢力と対立。兵力差をものともせず、人取橋の戦いで勝利すると領地を拡大していく。
豊臣家との対立と服従(1589年頃)
1589年に摺上原の戦いで、蘆名家を破った政宗は、東北地方の南部にあたる南奥州の統一に成功。ところが、中央ではすでに豊臣秀吉が天下人となっており、政宗は豊臣家への服従を余儀なくされた。
関東甲信越地方の変遷
戦国大名の先がけといわれる北条早雲(伊勢盛時)は、下剋上で戦国大名となった人物。関東甲信越には、鎌倉公方、関東管領など地方自治をになう重要な役職があったが、早雲ら戦国大名たちの下剋上によって、その体制は崩れていった。
足を引っ張り合う守護大名(1493年頃)
関東の覇権をめぐって争っていた、山内上杉家と扇谷上杉家。両者の争いや情勢を見ながら、周囲の戦国大名たちはどちらにつくかを考え、その隙をねらって躍進したのが北条早雲(伊勢盛時)だった。
北条家と武田家の躍進(1545年頃)
両上杉家は衰退し、代わりに台頭したのが北条家を継いだ北条氏康や武田信玄といった戦国武将。長尾家では長尾景虎(上杉謙信)が家督を継ぎ、信玄対謙信で有名な、川中島の戦いなどが起こった。
世代交代後も広がる領地(1579年頃)
時代が進み当主が変わっても、武田、北条、上杉といった様相は変わらず、それぞれの大名家は盤石かに思えたが、織田信長が揺るがした。そして1582年、武田家が滅亡を迎えることになる。
あとがき
日本史の流れを大まかに学ぶことで、人物名や年号を覚えることでどこかつまらないと感じていた歴史をもっと楽しく学べると思う。
ではまた、ごきげんよう。