世が乱れて全国各地に現れる戦国大名たち 楽しい日本史 -戦乱と泰平の世へ- 19.

EDUCATION

応仁の乱が終わると世が乱れて戦国大名が台頭してくる。
よく知っているし興味を持つ人が多い戦国時代に突入し、知っている名前が登場してくる。

ポイント

  • 幕府権力が衰退
  • 守護大名から戦国大名へ
  • 下剋上
  • 全国各地の戦国大名

年表

いつできごと
1477年応仁の乱が終結。しかし世の中は混乱へ
1485年山城で国人たちが一揆を起こす(山城の国一揆)
1493年細川政元がクーデターを起こし、将軍が追放される
1493年北条早雲(伊勢盛時)が堀越公方を滅ぼす
1543年ポルトガル商人により種子島に火縄銃が伝来
1549年細川家の家臣・三好長慶が京都の制圧に成功
1553年武田信玄、上杉謙信による川中島の戦いがはじまる

おもな登場人物

11年続いた応仁の乱

室町時代の末期、足利将軍家で家督相続争いが起こった。混乱は将軍家だけでなく、日本全国の大名家へと広がった。詳しくはこちらの記事へ。

幕府の権力失墜

乱が終結する頃には、幕府の権力は失墜。もともと各地で力を持っていた守護大名たちは、弱体化した幕府の命令を聞かなくなっていった。やがて武力をもって領地を広げたり、より強い権力を得ようという人々が現れた。彼らは戦国大名と呼ばれ、時代は乱世へ突入する。

守護大名と戦国大名の違い

守護大名と戦国大名についてこちらの記事で説明

下剋上

下剋上についてこちらの記事で説明

全国各地の戦国大名

16世紀中頃になると、全国にさまざまな戦国大名が登場した。個性豊かな武将たちは、たがいに思惑をめぐらせながら、領地などをめぐって戦を起こした。

伊達晴宗伊達政宗の祖父。伊達家の拠点を米沢に移し、奥州探題を任ぜられた
長尾景虎(上杉謙信)「越後の龍」と呼ばれた武将。長尾家当主となり、その後上杉性を譲られる
武田信玄「甲斐の虎」と呼ばれ、関東甲信越において強大な力を持った
北条氏康北条家の中興の祖と呼ばれる。武田家、今川家らとともに力をふるった
今川義元室町幕府との血縁もあった大名。「海道一の弓取り」とうたわれた
斎藤道三美濃の守護大名・土岐家を追放して国主に。「美濃のマムシ」と呼ばれる
織田信秀尾張の小勢力を率いた織田信長の父。今川義元と対立し、たびたび刃を交えた
朝倉義景室町将軍との関係が深く、今日から追われた足利義昭が頼った。信長と対立する
三好長慶京を席巻するまでにいたった天下人。しかし下剋上によって実権を奪われる
尼子晴久毛利元就や大内義隆らと中国地方の覇権をめぐって争い、勢力を拡大する
毛利元就一度は没落した毛利家を立て直し、中国地方10か国を有する戦国大名となる
大内義隆朝鮮や明との交易を行い利益をあげた。家臣の下剋上で自害に追い込まれる
長宗我部国親「一領具足」という制度をとった土佐の武将。嫡男は四国の覇者・元親
大友義鑑大友宗麟の父。豊後、筑後、肥後の守護となり大友家発展の基礎をつくる
島津貴久薩摩、大隅、日向の3か国の守護大名。義弘をはじめとする島津四兄弟の父

あとがき

日本史の流れを大まかに学ぶことで、人物名や年号を覚えることでどこかつまらないと感じていた歴史をもっと楽しく学べると思う。

ではまた、ごきげんよう。

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