幕末の歴史は長州藩抜きには語ることができない。
長州藩士の吉田松陰、高杉晋作、桂小五郎といった幕末の志士が歴史を動かしていった。
そんな幕末の「長州藩士の動向」が気になる。
また、主要藩士「吉田松陰」「高杉晋作」「桂小五郎」が何をしたのかについても学んでいきたい。
そこで、今回の内容はこちら
- 幕末の長州藩の動向
- 吉田松陰は何をしたのか
- 高杉晋作は何をしたのか
- 桂小五郎は何をしたのか
年表
いつ | できごと |
---|---|
1863年 | 長州藩が攘夷を決行し、外国船を砲撃する(下関戦争) |
1863年 | 八月十八日の政変が起こり、長州藩と公家たちが京を追われる |
1864年 | 禁門の変が起こり、長州藩の権威は失墜。朝敵となる。 |
1864年 | 四国連合艦隊が長州藩の下関砲台を占拠(下関戦争) |
1866年 | 坂本竜馬が薩長両藩の主要人物を結びつけ、薩長同盟が締結 |
1866年 | 第二次長州戦争が起こるが、14代・家茂が死去 |
1867年 | 前年末に孝明天皇が崩御し、倒幕の密勅が長州藩に下される |
幕末の長州藩の動向
はじめ長州藩は、尊王攘夷をとなえていたが、四国(アメリカ・イギリス・フランス・オランダ)連合艦隊との戦いで攘夷が難しいことを知った。
そして、開国論と倒幕論を掲げ、幕府に反旗をひるがえす。
やがて薩摩藩と薩長同盟を結び倒幕を進めていった。
吉田松陰は何をしたのか
吉田松陰は、松下村塾という私塾で教えていた。
松下村塾では、高杉晋作や伊藤博文ら、明治維新の立役者たちが松陰の教えを受けていた。
しかし、幕府大老・井伊直弼による「安政の大獄」で、幕府を非難する攘夷派の学者たちが処刑され、吉田松陰も処刑された。
長州藩の下級武士だった吉田松陰は、攘夷をとなえ老中の暗殺を企てたため罰せられたが、松陰の志は、弟子たちが受け継いでいった。
高杉晋作は何をしたのか
高杉晋作は、攘夷派を先導した藩士。
幕府が長州征伐のために進軍を開始し、長州藩は降伏する。
しかし、高杉晋作がクーデターを起こし、長州藩の藩論を変え、討幕派が躍進した。
最期は明治になる前に結核で死去。
桂小五郎は何をしたのか
桂小五郎は、西郷隆盛とともに薩長同盟を締結した立役者。
長州藩は、開国と同様に、幕府を倒す必要性も訴え、倒幕で意見を同じくした長州藩と薩摩藩は、秘密裏に薩長同盟を結ぶ。
長州藩は薩摩藩から鉄砲や大砲などの武器を輸入して、最新鋭の装備をそろえ倒幕を進めていった。
最終的に幕末を生き延び、明治時代に政治家になる。
まとめ
今回の内容をまとめると
- 長州藩は、尊王攘夷をとなえるが、四国(アメリカ・イギリス・フランス・オランダ)連合艦隊との戦いで攘夷が難しいことを知り、開国と倒幕を掲げ幕府に反旗をひるがえした。
- 吉田松陰は、松下村塾という私塾で、高杉晋作や伊藤博文ら、明治維新の立役者たちに教えていた先生。「安政の大獄」で、幕府を非難する攘夷派の学者たち同様に処刑された。
- 高杉晋作は、攘夷派を先導した藩士で、幕府が長州征伐のため進軍した際にクーデターを起こし、長州藩の藩論を変え、討幕派が躍進させた。
- 桂小五郎は、西郷隆盛とともに薩長同盟を締結した立役者で、幕末を生き延び、明治時代には政治家になった。
ではまた、ごきげんよう。