ローマを受け継いだフランク王国 楽しい世界史 -ヨーロッパの歴史-

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ローマ皇帝がコンスタンティノープルを建設した頃、異民族ゲルマン人が大量に流入し、ローマ帝国は東西に分裂し、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)と西ローマ帝国(のちにフランク王国)に分かれた。

そのローマとフランク王国について、「ローマ帝国の分裂」、「フランク王国」、「ローマ教会」、「ゲルマン人とヨーロッパ」を学んでいきたい。


そこで、今回の内容はこちら

  • ローマ帝国の分裂
  • フランク王国
  • ローマ教会
  • ゲルマン人とヨーロッパ
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年表

いつできごと
375年頃ゲルマン人の大移動
395年ローマ帝国が東西に分裂
756年フランク王国のピピンがラヴェンナを教皇領として寄進
800年フランク王カール大帝が帝冠を受ける
843年ヴェルダン条約締結。フランク王国が3つに分裂
870年メルセン条約締結。仏・独・伊の基礎が成立
962年東フランク王国のオットー1世が、神聖ローマ皇帝に即位
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ローマ帝国の分裂

新都コンスタンティノープル建設をきっかけに、ローマ帝国は皇帝と教皇で東ローマ帝国と西ローマ帝国に分かれた

東ローマ帝国の皇帝はコンスタンティノープル協会がトップだと主張。

西ローマ帝国の教皇はローマ教会こそがキリスト教のトップだと主張した。

種類3

フランク王国

バルト海岸に住むゲルマン人は、西ローマ帝国を滅ぼし複数の国を築いた

そのゲルマン人が5世紀後半にフランク王国を建国した。

■ゲルマン人
・古代から中世初期にかけて中央ヨーロッパからスカンジナビアにかけて居住した民族集団
・ローマ帝国と戦いながら、4世紀末から大規模な移動を開始。
・フランク王国などの諸国をヨーロッパ各地に建設。
・インド=ヨーロッパ語族に属し、現在のイギリス(英語)、ドイツ語、オランダ語、デンマーク語、スウェーデン語などの共通の祖先。
・ 身体的な特徴は、長身、ブロンドの髪、碧眼、高い鼻などがあげられる。

ローマ教会

西ローマ帝国はゲルマン人に滅ぼされたが、ローマ教会の熱心な布教でゲルマン人にキリスト教が拡大し、教会の指導者は教皇として権威を持つようになった。

政治的な後ろ盾を得たいローマ教会は、イスラーム軍を撃退したフランク王国に接近した。

王位継承を援助した見返りに領地をもらい経済基盤を得ると、教皇がフランク王カール大帝に皇帝の位を授け(カールの戴冠)、西ローマ帝国復活を宣言した。

typeの人材紹介

ゲルマン人とヨーロッパ

カール大帝の死後、フランク王国は3つに分かれ、フランス、イタリア、ドイツの起源となる

ブリテン諸国に渡ったゲルマン人と北欧から移住したゲルマン人は、それぞれイギリス人とロシア人のルーツとなった。

まとめ

今回の内容をまとめると

  • 新都コンスタンティノープル建設をきっかけに、ローマ帝国は皇帝と教皇で東ローマ帝国と西ローマ帝国に分かれた。
  • バルト海岸に住むゲルマン人は、西ローマ帝国を滅ぼし複数の国を築き、5世紀後半にフランク王国を建国
  • ローマ教会の熱心な布教でゲルマン人にキリスト教が拡大し、教会の指導者は教皇として権威を持つようになった。ローマ教会は、フランク王国に接近し、教皇がフランク王カール大帝に皇帝の位を授け(カールの戴冠)、西ローマ帝国復活を宣言
  • ゲルマン人は、中央ヨーロッパからスカンジナビアにかけて居住した民族集団でローマ帝国と戦いながら、4世紀末から大規模な移動。フランク王国などの諸国をヨーロッパ各地に建設し、フランス・イタリア・ドイツ・イギリス・ロシアの起源となっている。


ではまた、ごきげんよう。

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