1941年に始まり、世界最大の国力を持ったアメリカにはかなわず、1945年に無条件降伏した太平洋戦争。
この太平洋戦争について「太平洋戦争のきっかけ」が気になる。
また、「日中戦争」「ABCD包囲網」「太平洋戦争の推移」についても学んでいきたい。
そこで、今回の内容はこちら
- 日中戦争
- ABCD包囲網
- 太平洋戦争の勃発
- 太平洋戦争の推移
年表
いつ | できごと |
---|---|
1937年 | 虚構橋での軍事衝突がきっかけで日中戦争がはじまる |
1939年 | ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が起こる |
1940年 | 日独伊三国同盟が結ばれ、米・英との対立が明確化 |
1941年 | アメリカが日本へABCD包囲網などの経済制裁をはじめる |
1941年 | 日本軍がハワイの真珠湾を奇襲し、太平洋戦争が勃発 |
1942年 | ミッドウェー海戦で日本軍が敗北し、以降劣勢となる |
1945年 | 3月に東京大空襲、5月に沖縄で地上戦が繰り広げられる |
1945年 | 広島・長崎に原子爆弾が投下される |
1945年 | 日本はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏する |
日中戦争
北京市南西部の橋、盧溝橋で、日本軍と中国軍の間で戦闘が発生。
これがきっかけで日中戦争がはじまった。
対する中国は国民党と共産党が手を組む、国共合作やアメリカ・イギリスの支援で徹底抗戦。
宣戦布告のないまま日中の衝突は長期化した。
ABCD包囲網
日本、ドイツ、イタリアは日独伊三国同盟を結び、この同盟国は枢軸国と呼ばれた。
これに対してアメリカが日本へアメリカ(America)、イギリス(Britain)、中国(China)、オランダ(Dutch)の4国によるABCD包囲網という経済制裁をはじめた。
これにより、資源を輸入に頼っていた日本は耐えきれず、他国への侵略をせざるを得ない状況となった。
太平洋戦争の勃発
アメリカがつきつけた、貿易制限をやめる条件は、あまりにも厳しい内容だった。
日本はこれ以上の話し合いは無駄だと考え、アメリカと戦争することを決め、アメリカに宣戦布告した。
日本は、欧米の植民地支配を終わらせ、日本をリーダーとするアジア諸国が共存・共栄をめざすというスローガンとして大東亜共栄圏を掲げた。
大東亜共栄圏は、日本のアジア支配を正当化する目的で使われた。
太平洋戦争の推移
1941年12月、日本がハワイのアメリカ軍基地を攻撃(真珠湾攻撃)したことで、太平洋戦争がはじまった。
マレー半島やインドネシアを占領するなど、戦争がはじまってから数か月間は日本が優勢だった。
しかし、1942年の半ばにアメリカの反撃がはじまり、圧倒的な国力差の前に、日本は負け続けるようになった。
1944年に入り、アメリカが日本本土への空襲を開始し、一般国民にも被害が出るようになった。
1945年になると、日本本土への空襲は本格化し、3月の東京大空襲では10万人以上の犠牲者をだした。
4月にはアメリカ軍が沖縄に上陸し、県民の4分の1にあたる12万人以上が亡くなった。
そして8月、広島と長崎への原子爆弾投下がとどめとなって、ついに日本はポツダム宣言を受け入れ、無条件降伏をした。
まとめ
今回の内容をまとめると
- 中国の盧溝橋で、日本軍と中国軍が戦闘を開始した日中戦争。中国は国民党と共産党が手を組む、国共合作やアメリカ・イギリスの支援で徹底抗戦。
- アメリカが日本へアメリカ(America)、イギリス(Britain)、中国(China)、オランダ(Dutch)の4国によるABCD包囲網という経済制裁をはじめた
- アメリカの貿易制限をやめる条件は厳しく、日本はこれ以上話し合いは無駄だと考え、アメリカに宣戦布告した。
- 日本の真珠湾攻撃から太平洋戦争がはじまり、はじめは日本が優勢だったが、アメリカとの圧倒的な国力の差から負けが続くようになる。
- 日本本土への空襲本格化し、東京大空襲や沖縄上陸により国民の被害も大きくなった、そして8月、広島と長崎への原子爆弾投下がとどめとり、日本はポツダム宣言を受け入れ、無条件降伏した。
ではまた、ごきげんよう。