学校では習わない日本の元祖キャリアウーマン。できる女性を政治で活躍させ、時代を先駆けて女性活躍の環境を作っていた孝謙天皇についての下記のような疑問を学習する記事。
- 孝謙天皇の頃の時代背景は?
- 孝謙天皇はどんな人?何をした人?
- 孝謙天皇はどうやって女性をか活躍させた?
- 道鏡との関係性と何があった?
孝謙天皇の情報
時代 | 奈良時代 |
身分 | 天皇 |
出身地 | 奈良 |
別名 | 称徳天皇 |
生没年 | 718~770年頃 |
時代背景
日本という国号の使用
701年に大宝律令が制定され、天皇を中心とする律令国家が成立し、710年に新しい都の平城京ががつくられた。平城京は人口約10万人の大都市。奈良時代に全国を結ぶ官道が整備されるなど、国家的な大事業も次々と行われた。「日本」という国号もこの頃使用された。
奈良時代の政治と制度
官位制度
中央に神事を行う神祇官と国政を行う太政官がおかれ、太政官には左大臣・右大臣・大納言がいて彼らの合議ののち天皇が決定を下すスタイル。
行政区分
5つの「畿内」(近畿地方)とそのほかの地域を7つに分けて「七道」が整備された。合わせて「五畿七道」といい、江戸時代まで使用された行政区分。
畿内(5つ)、七道:東山道、東海道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道
墾田永年私財法
民が田畑を耕しても、天皇のもので自分のものにならない「公地公民」だったので、耕す意欲が低下していた。そのため有名な「墾田永年私財法」が成立し、耕したら自分の土地にできる法律ができた。初期荘園(私有地)が誕生する。
国分寺と東大寺
聖武天皇の時代では災害や疫病が多発。こうした社会不安を仏教への祈りによって解決しようと、聖武天皇は全国に国分寺を建て、平城京には東大寺と大仏をつくった。大仏は民衆に人気の高かった行基という仏教僧の力を借りてつくられた。
孝謙天皇のすごさ
天皇の娘
45代天皇 聖武天皇と光明皇后の娘として生まれた天皇の娘。
天皇即位・女性の積極登用
天皇の娘が孝謙天皇に即位し、能力のある女性を積極的に政治に参加させた。765年には男性54人に対し、女性44人に位を授けた。女性登用が多かったなかでも和気広虫(わけのひろむし)という女性官僚は、日本発の孤児院をつくり、のちの都となる平安京の工事にも力をつくすという偉大な功績をのこす。名前がトリッキーすぎるが、すごい。
策略家
女性天皇反対派がクーデターを起こしたときは、いとこの藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)とタッグを組んでこれを制圧。その後、淳仁天皇を即位させて上皇となってかげで政治を動かしていた。
孝謙天皇ってじつは・・・
怪しい坊さん 道鏡に夢中
孝謙上皇が43歳のとき、病気を看病して治してくれた道鏡という坊さんをすごく気に入り、政治に参加させるようになる。道教サイドもノリノリで逆らう者は死刑や流罪という事態になった。
2度目の天皇即位
藤原仲麻呂よりも道鏡を信じるようになり、淳仁天皇を補佐していた藤原仲麻呂は反乱を起こすが敗れ、孝謙上皇が再び即位し、称徳天皇となる。もう一回即位とかあるのがすごすぎる。
次の天皇は道鏡!?
称徳天皇となった元孝謙上皇は、神様のお告げといい、次の天皇を道鏡にしようとした。そんなウソを活躍女子の和気広虫の弟 和気清麻呂があばいて阻止することで皇統の危機を救った。これに激怒した称徳天皇は清麻呂を「穢麻呂」(きたなまろ)、広虫は「狭虫」(せまむし)というへんなあだ名をつけて流罪にしてしまう。しかし、結局、称徳天皇の死とともに道鏡は権力を失うことになる。あだ名って、子供のようだ。
あとがき
偉人に興味を持ち、その人物軸で時代背景や文化、歴史についても興味が持てればもっと楽しく学べると思う。
不安でいっぱいだった奈良時代についての解説記事はこちら。
ではまた、ごきげんよう。