日野富子 将軍の嫁 絶対私の子どもが次期将軍 楽しい日本史 -偉人編- 11

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室町幕府8代将軍・足利義政の妻。応仁の乱の火種にもつながる勢力争いのど真ん中にいた人物。日野富子についての以下のような疑問を学習する記事。

  • 日野富子は何をした人?
  • 日野富子はどんな人?
  • 日野富子が応仁の乱のきっかけをつくった?
  • 日野富子は子供をどうやって将軍にした?

源義経の情報

時代室町時代
身分将軍御台所
出身地京都
別名天下の悪女
生没年1440年~1496年

時代背景

鎌倉幕府から室町幕府までの流れはこちら

室町幕府 足利義満の政治

南北朝の動乱は、後醍醐天皇が亡くなった後も、北畠親房が南朝の正当性を主張しながら続き、北朝側では、足利尊氏と弟の直義が対立する観応の擾乱が起き、動乱は複雑になりながら全国に広がった。
3代将軍・足利義満は南朝と北朝を合体。朝廷の警察・裁判・徴税の権利を奪い、将軍職を子に譲り太政大臣になる。将軍権力を強化し、室町幕府を安定させた。

明・朝鮮との貿易

義満は明や朝鮮と国交を開き、勘合貿易を行った。日本は銅銭や生糸を輸入し、刀剣や銅や硫黄を輸出することで莫大な利益を得た。

北山文化

https://thegate12.com/jp/article/389

室町時代は武士が文化的に成長した。義満は優れた文化人でもあり、金閣寺や能など華麗な北山文化を育てた。

日野富子のすごさ

政治を操る

室町幕府8代将軍・足利義政は働くのが嫌いで、妻の日野富子は働くのが好きで頭もキレた。義政は弟の義視に将軍職を譲る約束をしていたが、その後すぐに富子が後継ぎとなる義尚を出産する。後継ぎをどっちにするかで大問題となる。そこにもともと勢力争いをしていた武将たちまで加わり、11年も続く「応仁の乱」に発展する。都は火の海となった。
そこで富子は、天皇を味方につけ、義政にかわって武将たちを買収し、乱を終わらせた。そして、息子の義尚を9代将軍にして政治をとりしきった。

日野富子ってじつは・・・

邪魔者は抹殺

富子が義政と結婚したとき、すでに義政には今参局(いままいりのつぼね)という側室がいた。しかも今参局は義政の乳母で母親代わりだった人で、母親代わりの人を側室にするという義政の怖いところもある。しかも、今参局は政治にも口を出すタイプで正妻気取り。富子はそれを許すはずもない。義尚の兄(つまり息子)の死を利用し、「今参局が嫉妬で呪い殺した。」といちゃもんをつけた。身の危険を感じた今参局は義政の計らいもあり滋賀県の沖島に逃げる。だが、結局富子の指示で暗殺されてしまうのだった。

あとがき


偉人に興味を持ち、その人物軸で時代背景や文化、歴史についても興味が持てればもっと楽しく学べると思う。

ではまた、ごきげんよう。

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