壬申の乱と天武天皇・持統天皇・文武天皇 3代で紡いだ歴史 楽しい日本史 -日本のはじまり- 6.

BEGINING OF JAPAN

古代最大の内乱となった壬申の乱。天武天皇が大きな権力をもって日本の国の成立に関わっていく。
正直このころの印象も薄いので天武天皇、持統天皇、文武天皇の3代で紡いだ歴史は知らなかった。

ポイント

  • 壬申の乱とは
  • 天武天皇がしたこととは
  • 古事記と日本書紀の目的とは
  • 藤原京とは

年表

いつできごと
663年百済復興のため出兵するも唐・新羅に敗北(白村江の戦)
668年中大兄皇子、天智天皇として即位。大海人皇子が皇太子に
671年天智天皇が崩御。大友皇子と大海人皇子が壬申の乱で争う
673年大海人皇子、天武天皇として即位
690年天武天皇の皇后・鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)が持統天皇として即位
694年飛鳥浄御原宮からはじめて条坊制が敷かれた藤原京に遷都
697年文武天皇が即位。持統天皇が史上初めて上皇となる
701年史上はじめて律と令がそろった大宝律令が制定される

壬申の乱の経緯

白村江の戦での敗北

朝鮮半島では唐と新羅が手を結び、百済と高句麗を滅ぼした。日本は百済復興のため、朝鮮半島に兵を派遣するが、大敗する。

守の強化

日本が攻められることになると思った中大兄皇子は、各地に山城を築いて守りを固めた。そして都を海から離れた近江(滋賀県)に移し、天智天皇として即位、初の全国的な戸籍となる庚午年籍(こうごねんじゃく)をつくるなど、内政面も強化した。

壬申の乱

中大兄皇子には子・大友皇子と弟の大海人皇子がおり、本来は中大兄皇子の弟の大海人皇子が後継者になるはずだった。しかし、天智天皇が寵愛する子の大友皇子を後継者に選んで亡くなったため、後継者争いが起き、近畿一円を転戦する古代日本最大の内乱、壬申の乱が起こる。

天武~文武天皇の政策

大海人皇子が壬申の乱で勝利し、天武天皇として即位し、絶大な権力を握る。天部天皇の後は皇后の持統天皇が、その後は孫の文武天皇が即位した。天智天皇から続く天武・持統・文武天皇の政策は、日本の国の成立において大きな役割を果たした。

天武天皇

天皇中心の中央集権国家確立のため、八色の姓を制定し豪族の順位を再編成、律令の整備を行った。ほかにも『古事記』『日本書紀』の編纂を指示したり、日本初の貨幣「富本銭」をつくった。

持統天皇

夫・天武天皇の事業を引き継ぎ、新たな令と戸籍を制定。新しい都・藤原京を造営し、本格的な中央集権国家としての基礎を固めた。藤原京は平安京をもしのぐ古代最大の都となった。

文武天皇

14歳で即位。当初は祖母の持統天皇が政治を行った。50年前の大化の改新の頃からつくられはじめた律令を、藤原不比等を中心に完成させた。また、遣唐使を派遣し、唐の進んだ文化を取り入れた。

あとがき

日本史の流れを大まかに学ぶことで、人物名や年号を覚えることでどこかつまらないと感じていた歴史をもっと楽しく学べると思う。

ではまた、ごきげんよう。

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