朝鮮にはさまざまな建国神話があるが、燕の将軍・衛満(えいまん)が半島へ逃れて建国した衛氏朝鮮が最初の国家と言われている。
その朝鮮について、「古朝鮮時代」、「朝鮮三国時代」、「古代日本と朝鮮半島」、「白村江の戦いと新羅の朝鮮半島統一」を学んでいきたい。
そこで、今回の内容はこちら
- 古朝鮮時代
- 朝鮮三国時代
- 古代日本と朝鮮半島
- 白村江の戦いと新羅の朝鮮半島統一
年表
いつ | できごと |
---|---|
紀元前1世紀頃 | 朝鮮半島の北方で高句麗建国 |
4世紀中頃 | 百済・新羅が起こって朝鮮三国時代へ |
660年 | 新羅・唐連合軍、百済を滅ぼす |
663年 | 白村江の戦いで新羅・唐連合軍に旧百済・日本連合軍が敗れる。 |
668年 | 新羅・唐連合軍が高句麗を滅ぼし、朝鮮三国時代が終わる |
676年 | 朝鮮支配に乗り出した唐との争いを制し、新羅が半島統一 |
935年 | 高麗が新羅を滅ぼし、翌年朝鮮半島再統一 |
古朝鮮時代
中国・燕の将軍だった衛満は、王朝が秦から漢に変わる混乱期に朝鮮半島へ渡り、衛氏朝鮮を建国。
神話の時代から衛氏朝鮮までを古朝鮮と呼ぶ。
のちに前漢の武帝は朝鮮半島に進出し、朝鮮4群(楽浪郡)を置いて支配した。
中国の史書「漢書」に「楽浪の海中に倭人あり」という記載があるが、漢王朝の支配が朝鮮に及んだことで、日本(倭)も外国の影響をより強く受けるようになった。
朝鮮三国時代
朝鮮半島の北方に誕生した高句麗は、漢が滅亡し乱世となった3~4世紀、中国の支配下にあった半島北部まで領土を拡大。
半島南部は馬韓・辰韓・弁韓の3地域に分かれ、半島北部を通じて間接的に中国の支配を受けていた。
馬韓諸国を百済が、辰韓諸国を新羅が統合。伽耶と呼ばれるようになった弁韓諸国も、のちに新羅に統合された。
高句麗・百済・新羅が鼎立した時代を朝鮮の三国時代と呼ぶ。
古代日本と朝鮮半島
朝鮮三国の高句麗は、国境を接する中国王朝(隋・唐)の侵攻に対抗していた。
新羅は高句麗・百済と争い、百済を唐と連合して滅ぼした。
百済は三国間の抗争を優位に進める目的もあって日本と友好関係を築いていたので、滅亡後は日本(倭)に助けを求めた。
■渡来人が日本に伝えたもの
高句麗の朝鮮半島進出、新羅による百済・高句麗の滅亡など半島内の混乱や、日本による百済・伽耶との関係強化にともない、高い文化を持つ人々が日本に渡来し、さまざまな技術が伝えられた。
・稲作技術
人工水路で耕地拡大
・金属器の鋳造技術
農耕・狩猟・採集の効率アップ
・土器製作
高温の窯で焼く硬い須恵器(すえき)が登場
・機織技術
布を織る新技術で生産力向上
白村江の戦いと新羅の朝鮮半島統一
新羅・唐の連合軍によって百済が滅んだあと、日本は国の復興をめざす旧百済軍を支援するため、出兵したが、白村江で大敗した。
この敗戦によって日本は朝鮮半島での外交拠点を失うが、百済からの渡来人は増え、日本の社会や政治、文化が大きく発展した。
「白村江の戦い」のあと、新羅・唐連合軍は高句麗も滅ぼし、三国時代が終了。
唐は朝鮮支配に乗り出すが、新羅は唐軍も追い出して朝鮮を統一した。
のちに半島の北方に誕生した渤海(ぼっかい)は、滅亡した高句麗の人々によって建てられたといわれている。
唐が滅ぶと、新羅でも反乱が続き半島は再び分裂し、新たに登場した高麗によって再統一された。
まとめ
今回の内容をまとめると
- 中国・燕の将軍だった衛満は、朝鮮半島で衛氏朝鮮を建国した。神話の時代から衛氏朝鮮までを古朝鮮と呼ぶ。
- 北方、南方にそれぞれ諸国ができるが、のちにに、高句麗・百済・新羅にまとまり朝鮮の三国時代となる。
- 新羅は高句麗・百済と争い、唐と連合してまずは百済を滅ぼした。百済は日本と友好関係を築いていたので、滅亡後は日本(倭)に助けを求めた。
- 旧百済軍を支援するため、日本(倭)が出兵したが、白村江で大敗した。日本は朝鮮半島での外交拠点を失うが、百済からの渡来人は増え、日本の社会や政治、文化が大きく発展した。
- 白村江の戦いのあと、新羅・唐連合軍は高句麗を滅ぼし、三国時代は終了。さらに朝鮮支配に乗り出した唐を新羅が追い出し、新羅が朝鮮を統一した。
ではまた、ごきげんよう。