古墳・飛鳥時代での大きなできごと大化の改新について
この頃から大きな勢力から天皇中心の中央集権国家に戻すためのクーデターが起きていた。権力をにぎろうとしたり奪い返したりの連続。
ポイント
- 大化の改新とは
- 蘇我氏の権力がすごかった
- 大化は元号
- 中大兄皇子と中臣鎌足のタッグ
年表
いつ | できごと |
---|---|
622年 | 聖徳太子(厩戸王)が亡くなる |
643年 | 聖徳太子の子・山背大兄王が蘇我入鹿に殺害される |
645年 | 中大兄皇子が蘇我入鹿を倒す「乙巳の変」 |
645年 | 中大兄皇子が固辞したため、孝徳天皇が皇位につく |
646年 | 公地公民制などを記した「改新の詔」を発布 |
652年 | 最初の班田収授法が施行 |
663年 | 百済復興のため白村江の戦いとなり唐・新羅軍に敗れる |
おもな人物
大化の改新
蘇我氏の権力
中国大陸では隋が滅び、618年に唐ができた。唐は「律令」という法によって中央政府が強力に支配する、中央集権国家だった。日本では、聖徳太子とともに改革を行った蘇我馬子の子・蘇我蝦夷と、その子・入鹿が権勢をふるい、聖徳太子の子・山背大兄王を滅ぼす。
乙巳の変
蘇我氏の横暴に対して、中大兄皇子(天智天皇)は、日本を天皇を中心とした中央集権国家にするため、政治の実権を握ろうとする蘇我氏を滅ぼすことを決意する。645年に中臣鎌足(藤原鎌足)とともに蘇我氏を倒した。
政治改革
中大兄皇子は鎌足や知識人とともに、日本の制度を整える改革を行った。この政治改革を大化の改新という。大化の改新の「大化」は日本初の元号である大化のこと。中大兄皇子は「改新の詔」を発し、日本が中央集権国家となるための改革を発表した。こりにより土地や人民をすべて天皇が把握できる制度が整った。
公地公民制
皇室や豪族の私有地や私有民を廃止し、すべての土地と民を国(=天皇)のものとした
国郡制度
日本初の行政区分「国」「郡」が設置され、地方公務員にあたる「国司」「郡司」を派遣。防人などの兵隊の設置や交通手段も整備された
60以上の国を設置し、それを複数の郡にわけた
班田収授法
はじめての戸籍をつくる。戸籍にあわせて口分田を与え、税を徴収した
租庸調の税制
唐の税制度をもとに、日本にも税制度を導入。
「祖」:収穫した米から一定の割合を税として納める
「庸」:20~60歳の男子は都で労役を行う
「調」:布や絹などの特産物を納める
あとがき
日本史の流れを大まかに学ぶことで、人物名や年号を覚えることでどこかつまらないと感じていた歴史をもっと楽しく学べると思う。
ではまた、ごきげんよう。