・市民も巻き込まれた第一次世界大戦
・ロシア革命で史上初の社会主義国家が誕生
・大戦後、厳しい制裁がドイツに課せられる
この第一次世界大戦とロシア革命について、「第一次世界大戦の概要」、「ロシア革命とソ連の誕生」、「第一次世界大戦の終焉」、「戦後の体制とドイツへの制裁」に分類して学んでいきたい。
- 第一次世界大戦の概要
- ロシア革命とソ連の誕生
- 第一次世界大戦の終焉
- 戦後の体制とドイツへの制裁
第一次世界大戦の概要
1914年、オーストラリアの皇太子が暗殺されたサライェヴォ事件をきっかけに、オーストリアがセルビアに宣戦布告した。
すると、セルビアの後ろ盾だったロシアが参戦。
今度はそのロシアと対立するドイツが、ロシアとフランスに対して宣戦。
負けずに露・仏と協商を結ぶイギリスが参戦。
さらに遠く離れた東アジアでも日英同盟を結ぶ日本がドイツ領に侵攻 と雪だるま式に参戦国が増えていき、第一次世界大戦へと発展した。
大戦は1918年まで4年間続く。
長期化した理由のひとつは、戦車や飛行機、毒ガスなどの新兵器が投入されたため。
これらの兵器に対抗するため各国は塹壕(陣地となる穴)を掘り、にらみ合いが続いた。
第一次世界大戦は800万人以上の戦死者を出して終結した。
ロシア革命とソ連の誕生
■革命により皇帝追放
労働者の地位の低さや専制政治に対して不満が高まっていたロシアで、1971年3月に二月革命が勃発。
時の皇帝、ニコライ2世が退位し、ロシアを支配していたロマノフ朝は滅亡。
■ふたつの権力の対立
ニコライ2世の退位後、資本家が占める臨時政府と労働者や兵士を中心とするソヴィエトが対立し、二重権力状態となった。
■ボリシェヴィキ独裁
ソヴィエトの中でも主流派であるボリシェヴィキが十月革命を起こし権力を奪取。
その後、独裁体制を確立し、ロシアを社会主義国家へと転換させた。
その指導者がレーニン、後継者がスターリン。
第一次世界大戦の終焉
第一次世界大戦は開戦後ずっと連合国側と同盟国側が拮抗していたが、アメリカ参戦により、戦況は連合国側が圧倒的に有利になった。
同盟国側のブルガリア・オスマン帝国・オーストリアが次々に降伏。
そして追い込まれたドイツでも革命が勃発して皇帝が追放され、新しくできたドイツ共和国は連合国に降参した。
戦後の体制とドイツへの制裁
敗戦国となったドイツは、戦後の国際体制(ヴェルサイユ体制)の中で厳しい制裁を受ける。
まず領土については、アルザス・ロレーヌ地方がフランスに返還、ポーランド回廊がポーランドに割譲され、海外植民地はすべて取り上げられた。
そして当時のドイツの歳出額の約17年分となる1320億マルクが賠償金として課された。
こうした厳しすぎる制裁が、ナチスの台頭と第二次世界大戦勃発の原因のひとつとなった。
ではまた、ごきげんよう。