・資本主義 VS 社会主義の「冷戦」のはじまり
・西欧は資本主義陣営、東欧は社会主義陣営に
・ドイツは東西に分裂し、ベルリンも分割される
第二次世界大戦後の東西冷戦について、「第二次世界大戦後の冷戦」「冷戦下のヨーロッパ」、「西側陣営の動き」、「東側陣営の動き」に分類して学んでいきたい。
- 第二次世界大戦後の冷戦
- 冷戦下のヨーロッパ
- 西側陣営の動き
- 東側陣営の動き
第二次世界大戦後の冷戦
第二次世界大戦は連合国の勝利に終わったが、戦後すぐに新たな戦いがはじまった。
アメリカを中心とする資本主義陣営とソ連を中心とする社会主義陣営の争い。
この戦いは軍隊同士の直接的な戦争が少なかったで、「冷戦(東西冷戦)」と呼ばれた。
ヨーロッパは東西に分断し、イギリス首相・チャーチルはこの状況を「鉄のカーテン」と表現した。
第二次世界大戦で疲弊しきったイギリス・フランスに対してアメリカが復興支援を行った。
世界のリーダーはイギリスからアメリカへと変更した。
一方、東欧諸国はソ連の影響下に入り、アメリカ対ソ連という戦後体制が確立した。
冷戦下のヨーロッパ
ヨーロッパは冷戦の最前線のひとつだった。
西欧諸国が資本主義陣営だった一方、東欧諸国はソ連の影響で社会主義化して、真っ二つに分かれた。
また、連合国軍とソ連が占領した敗戦国のドイツは西ドイツと東ドイツに分裂し、ベルリンも分割管理となった。
西側陣営の動き
■マーシャルプラン
アメリカは戦後すぐに、ヨーロッパの復興や経済支援を行う「マーシャル=プラン」と呼ばれる計画を発表。
これはヨーロッパの社会主義化を食い止め、封じ込めるという目的もあった。
■NATO(北大西洋条約機構)
1949年、アメリカと西欧諸国はNATO(北大西洋条約機構)という軍事同盟を結んだ。
ソ連や社会主義国家に対する安全保障条約であり、目的や加盟国を変えながら現在も続いている。
東側陣営の動き
■東欧諸国の衛星国化
戦後、東欧にはソ連軍が駐留し、ソ連に友好的な社会主義国家が次々と樹立した。
そうした国々はソ連を守る衛星国としての役割もあり、ソ連は東欧諸国の自立を認めなかった。
■WTO(ワルシャワ条約機構)
NATOに対抗して、ソ連と東欧諸国が1955年に結成した軍事同盟。
ときには東欧諸国の民主化運動に対して軍事介入することもあった。
冷戦終結にともない1991年に解体。
ではまた、ごきげんよう。