旧幕府軍と戊辰戦争で戦いながら新しい時代に向けて政治体制や法律を整え、明治政府として改革を行っていった。
そんな明治政府が行った改革について「どんなことを行った?」が気になる。
また、「明治政府の体制」「版籍奉還と廃藩置県とは」「明治政府が目指した富国強兵とは」についても学んでいきたい。
そこで、今回の内容はこちら
- 明治政府の体制
- 版籍奉還と廃藩置県とは
- 明治政府が目指した富国強兵とは
年表
いつ | できごと |
---|---|
1868年 | 新政府の方針をまとめた、五箇条の誓文が発布 |
1868年 | 戊辰戦争が起こる。元号が慶応から明治に改元される |
1869月 | 京都から東京に首都が移される一方で、戊辰戦争が終結 |
1871年 | 廃藩置県が行われ、政府が人民や土地を管理するように |
1872年 | 学制が定められ、全国民に小学校教育が義務化される |
1873年 | 徴兵令発令と、地租改正が行われ、政治体制が整いはじめる |
明治政府の体制
1868年3月に前年に天皇に即位した明治天皇が、「五箇条の誓文」を発布し、これからの日本の政治がどのような方針で動いていくかを示した。
アメリカの制度を参考にした三権分立主義を採用した太政官制が導入され、新政府の政治体制が確立していった。
太政官制とは、立法(議政官)、行政(行政官)、司法(刑法官)の三職を設置した新しい中央集権制度。
版籍奉還と廃藩置県とは
1869年6月、明治政府は領地と領民を朝廷に返す「版籍奉還」を実施。
しかし、実際には藩主が引き続き領地の管理を行っていたので、藩制度は残ったままだった。
1871年7月、明治政府は存続していた藩制度を廃止するため「廃藩置県」を実施。
261藩を、3府302県に置き換え、知藩事に任命されていた元藩主は全員が罷免され、明治政府から派遣された新しい知事が土地と民を管理した。
明治政府が目指した富国強兵とは
明治政府のスローガンとなったのは、「富国強兵」。
政府は学制、徴兵制、地租改正、殖産興業に積極的に力を入れて改革を行った。
貧富や男女問わず、すべての子どもたちに教育を受けさせるという学制が発布された。
明治政府は、教育による四民平等と機会均等を実現しようとした。
20歳になった男性は、身分を問わず兵士になるという徴兵令を発布。
国民皆兵がはじまり、軍隊の基礎となった。
ただし、お金を払えば免除された。
それまで、米の取れ高によって米の上納を行っていたが、土地の価値によって税金の額を決めて金銭で税金を納めるという地租改正を行った。
西洋諸国に対抗するため、政府は、生産を増やし、産業を盛んにするという殖産興業に力を入れ、日本の経済を発展させようとした。
Before | After | |
---|---|---|
学制 | 勉強をしない子どももいた | 義務教育になる |
徴兵制 | 武士が戦の主体 | 国民皆兵に |
地租改正 | 収穫量によりけり | 土地の価値による |
殖産興業 | 各藩などが主導 | 国主導の官営事業に |
まとめ
今回の内容をまとめると
- 明治天皇がこれからの日本の政治方針となる「五箇条の誓文」を発布し、三権分立主義を採用した太政官制が導入され、新政府の政治体制が確立していった。
- 明治政府は、領地と領民を朝廷に返す「版籍奉還」を実施するが、藩制度は残った。
そこで明治政府は藩制度を廃止するため「廃藩置県」を実施し、藩を県に置き換え、元藩主を罷免し、明治政府から知事を派遣して土地と民を管理した。 - 明治政府は「富国強兵」をスローガンとし、学制、徴兵制、地租改正、殖産興業に積極的に力を入れて改革を行った。
ではまた、ごきげんよう。