とある動物園に行き、色んな動物を見て楽しんだ後、園内の池で購入したエサを鯉と亀にあげた。普通に楽しく終わったが、勝手に考えてみたところ、意外と深いことに気づいた。
1周回ってのどかで平和
何気ない休日のひとときである行動を勝手に分析してみたら鯉と亀へのエサやりはすごくのどかだし、平和だという結論となったが、そこに至るまではだいぶ深いところまで考えさせられたのだった。
考えてはみたが、鯉と亀の目線にはなりきれないのでそっちは断念した。人間目線での私の勝ったな結論ですが。
はじまりは鯉の大はしゃぎ
ことの始まりから。動物園にいっているので、レッサーパンダ、キリン、プレーリードッグ、ミーアキャット、ペンギンなどなどをひとしきり見て、そろそろ帰ろうかという時に、池に来た。池には鯉と亀がいて、よくある客がエサを購入して自由に池にばらまくスタイルのやつ。私自身はそんなに張り切ってはいなかったが、子供がエサあげたいというのでやることになった。
普通に鯉と亀がいるね。くらいな感じで穏やかな池だったが、いざエサをやりだすと鯉がはしゃぎ出した。
おお。いつもながらものすごいパクパクやってるー。エサをゲットした鯉も9割空パクしているし。ん?ってことはエサをゲットすらできなかった100%空振りの鯉は大量に水飲んでるのか?あ、吐き出すか。
もうひとつの生物
ちょっとすると、奥の方から黒い影が鯉を押しのけてきた。タートルズ襲来。何匹か来てるなとおもってたら、まだ来るのかよっていうくらい想像以上にタートルズがきた。
引き続きエサを投入しつづけて、ぱっと足元をみると、タートルズが最前列に並んでいる。後方から最前線までくる押しの強さは凄まじい。
そうゆうハートの強さが、ウサギに勝ったんだね。きっと。でも、申し訳ないけど個人的にはちょっとだけ気持ち悪さあり。それぞれ柄がちがったりしてて。亀好きならたまらないんだろうな。
彼らを応援する
私を基準に先頭集団がタートルズでその奥にはしゃぎ番長カープスという構図となった時、手前にいる亀がきちんと整列して並んでいて、彼らが先客なのではないかという感覚が芽生え始めた。
そう思ってからはなるべくすぐ下のタートルズ用にエサを重力に任せて落下させる重力落下法で提供をしていた。しかし、カープスの俊敏さとタートルズの不器用さで、カープスがぶんどるぶんどる。(ちなみに、私の子供もおなじ提供方法を実施)
目の前にエサが落ちても謎のスルーとかびっくり。甲羅の横にエサがいっちゃうと彼らの構造上どうしても見えないもんね。鯉の方が口パク回数多いし、はしゃぎがえぐい!
エサやり完了
後半はこちらも熟練度があがり、池の水面からでているヘリみたいな部分にエサを落下させればあとはタートルズ同士で競い合うだけ。ちょうどそれぐらいでエサが底をつき、帰ることにした。
子供中心でのエサやりだったが、何だかんだで少しもらって鯉にあーげよっ、亀にあーげよっとかしてしまった。
楽しい要素
エサやりを終えた後、今まで考えたことがなかったが、エサやりの何が楽しいんだろ?と疑問に感じたので洗い出してみた。(めっちゃ楽しいとまでは思っていない)
- 自分の与えたエサを一生懸命たべてくれる
- 群がって我先になっている様子をみる
- 鯉や亀が好きでいっぱい出てきてうれしい
私個人としては、鯉も亀も特別好きなわけではないので「3.鯉や亀が好きでいっぱい出てきてうれしい」は除外され、さほど好きではない生物が一生懸命たべてくれてもそこまで嬉しさはないとすれば、消去法で「2.群がって我先になっている様子をみる」ということになる。
なんかその理由だけになると趣味悪い感じするな。あくまで個人的意見ということで。
なぜ楽しいのか?
自分の環境と今回のエサやりの環境を対比してみた。異生物のエサの取り合い、早い者勝ち・我先に食べているという状況が完全に自分の置かれている環境とギャップがある。
自分の環境 | 鯉・亀のエサやり |
---|---|
人間と動物やその他の生物は地球で共存しているが住環境や食事は異なる | 鯉と亀という異生物同じ池で同じエサをたべる |
少なくとも日本では基本的に順番を守る・守るべきと多くの人が思っていて奪い合いは悪とされる | 順番など関係なく鯉と亀はもちろん、鯉同士・亀同士でも早い者勝ち |
言われてみればそうだけど。なんか考えると怖いが、自然界はもともとそうなんだよな。
自分の環境では起こりえないような状況を目の当たりにすることが非現実的だし、このギャップが大きいから興味をそそられたのでは?逆にこのギャップがない場合には、おもしろさはないんだと思う。
ギャップがある=平和
例えばギャップがない環境って異生物同士で食べ物を奪い合うのはもちろんのこと、人間同士で奪い合う状況ってことで、平和とはとても言えない。特に順番を守ったり、人間同士で奪い合いがないという環境が当たり前だと思っているわけだから、エサやりとギャップがある状態こそが、自分の生活が平和だという証なんだと思った。
これまで、エサやりをしている状況を傍からみて平和でのどかな光景となんとなく思っていたが、深く考察してみた結果、一周まわって、深い意味で平和でのどかだなと気づかされた。勝手に。
鯉とか亀を池で飼って餌あげるとか江戸時代ぐらいからやってることだと思うし、だれもそんなつもりでエサあげていないでしょうけどね。
最後に
鯉とか亀にエサあげるのを普通に楽しむ。そんなのどかな生活を送れること、世界が平和であることを祈りたいですね。このごろは特に。
それはまた、ごきげんよう。